畠山重忠275(作:菊池道人)

 眉間にやや皺を寄せながらも、眦をしっかりと上げている重忠。
 すでにいささかの動揺も感じられなかった。
「父上」
重秀が馬を前に進めながら、
「父上はいつか謀反の風聞あるはむしろ武士にとっては誉れとおっしゃいましたね」
「そうだ」
「然らば、我らが謀反人と呼ばれようとも、どうして恥じることがございましょうか。菅谷に引き返した上で、総力挙げて、謀反人の名を挙げるもまた武士の道かと」
が、重忠は、
「重保は上洛の折、平賀どのと口論に及んだ。その理由は実朝公を侮辱されたからである、と申しておったが、どのようであったかのう、あ奴の最期の様子は:」
 重忠は柏原太郎の方を向く。
 柏原は目に涙を浮かべながら
「此度も由比ヶ浜に謀反人ありとの報せに、とるものもとりあえず、駆けつけられるところでありました。そこを待ち伏せしていた三浦の郎党らに:」
 重忠は深くうなずいてから、重秀の方に向き直し、
「つまりは、終生、将軍家への忠節を忘れなかったのだ。もしここで我々が菅谷に引き返してから戦い、謀反人とされれば、重保の志を無にしてしまうのではないのか。我らの将軍家への忠節がいささかの揺るぎもないことを示すことこそが、重保への供養ではないのか」
重秀は唇をかみしめ、それ以上の言葉は返さなかった。

 重忠は連れて来た従者百三十四人を全員呼び集めると、
「我らの志は平素のごとく鎌倉に参じ、将軍家の御恩に報い、忠勤に励むことであるが、それを妨げんとする者がいる。しかしながら、我々の存念は一切変わることはない。ひたすらに鎌倉へ向かうのみぞ。いかなる妨害にも怯むことなく、前へ進むのだ。我らの本意は他家と干戈を交えることにあらず。ただし、将軍家への忠勤の道を妨げる者あらばやむを得ず成敗致す」
「おおっ」
誰からともなく鬨の声を上げ、拳を天に向かって突き出した。
 人馬は再び、歩み始めた。
 鎌倉へ向かって:。
 前方から七騎が突き進んでくる。
 安達景盛とその郎党の野田与一、加世次郎、飽間太郎、鶴見平次、玉村太郎、与藤次である。
 景盛は頼家に妾を奪われたことが発端となって謀反の疑いをかけられたことがあったため、この時こそ武勲をたてんと張り切っている。
「景盛どのは昔から知っているが、この重忠を討ち取って栄誉とせんとは殊勝なり。重秀、その方にとっては不足はないぞ。命の限り戦うのだ」
「はっ」
先程までは異論を唱えていた重秀は力強く変事すると、馬の腹を足でぽんと叩く。
 馬は勢い良く、安達主従をめがけて走り出した。
畠山重忠が倅、重秀、鎌倉に参上致し、将軍家に奉公致す所存ぞ。それを邪魔だてするとは如何なる所存か」
「謀反人が今更何をほざくかっ」
野田、飽間が矢を放ってきた。
重秀はそれを刀で叩き落す。
「若殿、加勢つかまつる」
近常も馬を走らせた。
甲冑に身を固めた安達勢と旅姿の重忠主従とが肉迫する。 (続く)
 
作:菊池道人 http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/3.htm

本作はオリーブニュース http://www.olivenews.net/v3/ にも掲載しております。

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畠山重忠274(作:菊池道人)

 雲の見えぬ空から照りつける日差し。
 重忠は汗をにじませながら、月虎を歩ませている。武蔵国鶴ヶ峰(横浜市旭区内) 。坂は多いが、相模との国境はもうすぐである。二十二日のうちには鎌倉に着くはずであった。
 それにしても、菅谷館を出立する時の三日月の悲しげな瞳はなかなか脳裏から離れない。すでに鎌倉へ連れて行くのは無理と思えるくらいに足は衰えている。
 齢三十という稀なる高齢ゆえ、最期が遠くないことを察しているのであろうか。
 もしや、次に菅谷に戻った時には、もういないのか。
 仮定のこととはいえ、悲しみに胸を締めつけられる。
 そして、三日月とともにした日々の記憶が鮮明に蘇る。
 初めて上洛した時のこと。宇治川の戦い、そして背に負って下った福原の鵯越
 三日月の記憶はそのまま重忠の人生と重なっていた。
 こみあげてくるものを抑え込むかのように重忠は鼻で息を吸い込み、上を向く。
 真夏の日輪が真上にあった。
 と、その時、重忠と並んで馬を歩ませていた本田近常の、
「おお」
という声。
 馬蹄の音が聞こえる。
 前方から馬を走らせて来るのは柏原太郎。鎌倉屋敷で留守を守っているはずであるが、何ゆえに今、ここに:。
 すぐ近くまで来て、柏原は馬を止めた。
 顔には返り血も:。
 重忠の胸は激しく騒ぐ。
「申し上げます。本日早朝、重保どの、謀反人の濡れ衣を着せられ、三浦義村どの配下の者に討ち果たされました」
 重忠は声を出せない。
「鎌倉屋敷で留守の者たちもことごとく討たれ、奥方様(房子)は尼御台様に預けられた由にございます。そして:」
信じ難い話はまだ続く。
「義時どのを総大将に鎌倉の御家人は挙ってこちらに向かっております」
「この俺を成敗するというのか」
抑えたつもりでも、重忠の声は荒くなる。
「いかにも。殿にも謀反の志あり、と。敵は幾万か知れません」
柏原の声は今にも泣きそうになる。
返り血と至る所が斬り裂かれた狩衣は辛うじて敵の囲みを破って来たことを物語っている。
「大儀であった」
重忠はやっとの思いで労いの言葉を発した。
 成清が言う。
「敵は数万にも及ぶかと。しかし、こちらは百三十四人。ここは速やかに菅谷に引き返し、態勢を整えた上で迎え撃つべきかと存じます」
 近常も、
「一刻の猶予もございませんが、敵は大軍なれば歩みは遅いはず。引き返すならば、数の少ない我らの方が有利なはずです」
が、重忠は徐に首を横に振ってみせると、
「その方らの申し分、軍略としてはもっともだ。しかし、折角だが、人の道にはそぐわぬ」
「なぜでしょうか」
近常は訝しがるが、
「敵は我らを謀反人として処断する所存であるはず。もし、菅谷に引き返し、互角に戦えば、まさに敵の思う壺。敵の嘘が真となってしまうのだ。現に、以前、梶原景時どのは最期に当たり、なまじ、館から逃れようとしたために、謀反の企てありと思われてしまったではないか」
成清は、
「では、このまま、敵に向かうと仰せなのでしょうか」
「その通りだ」 (続く)

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畠山重忠273(作:菊池道人)

 二十二日の寅の刻(午前四時頃)。
「謀反人だっ、由比ヶ浜の方だぞ」
外からの声で重保は目を覚ました。
 物心つくかつかぬうちに仕込まれた武士の習性で、素早く飛び起きるや、刀を手にして、外へ飛び出した。
 単身でも現場に駆けつけんとの意気である。宿直の郎党たちを起こす暇もなかったが、それでも三人、後に続く。
 鶴岡八幡宮の東側を通り抜け、若宮大路をひた走る。周囲は御家人屋敷が多いが、変事が起きたにも関わらず、なぜか寝静まっているようだ。
 それを奇異とも思わずに、重保と三人の郎党は南の方角すなわち海側へ走った。
 ようやく武者たちが集まっているのが見えた。
 すでに東の空は白み、人の顔も見えるくらいの明るさである。
皆、こちらを向いている。
 謀反人は浜の辺りと聞いていたが、そちらの方に動く気配はない。
 どうしたことなのか。すでに敵は成敗された後だというのか。
 やや不審に思いながらも、重保は、
畠山重忠が倅、六郎重保、謀反人ありとの報せを受け、鎌倉殿の恩顧に報いるべく、参上つかまつる」
すると、武者の群れから一人進み出て来た。
「三浦義村どのが郎党、作久満太郎家盛、謀反人を成敗致す」
腰の太刀を抜いた。
 他の武者たちも重保とその郎党たちを取り囲む。
「何事か。それがしは加勢に参上致したのだ」
が、家盛は、
「しらばくれるなっ。その方らの謀反は明白であるぞ」
重保は罠にかけられた、と覚った。一体、何ゆえにとの戸惑いは如何ともし難いが、かくなる上は武士としての振る舞いをとるしかない。
「いかなる証があって我らを謀反人と致すか。理非を弁じた上で、白昼堂々の一戦を挑むことこそが坂東武者の習い。夜も明けきらぬうちに騙し討ちに致すのが三浦の作法か」
「黙れっ、若造」
袈裟懸けに斬りかかって来た家盛を畠山の郎党が遮るが、横合いから三浦の別の郎党が鉾で突く。
 脇腹を刺された畠山の郎党は前のめり倒れた。
「おのれ、どこまでも汚い三浦め」
重保は部下の仇とばかりに三浦の郎党を真っ向から叩き斬ると、返す刀で家盛と斬り結ぶ。
 二、三回、太刀を合わせた後、重保の切っ先が家盛の右腕をかすめた。
 痛みに思わず、後ろに下がった家盛に二の太刀を浴びせようとしたが、左右に構えていた三浦の郎党たちが一斉に鉾で突いてきた。
 重保は両腰を突かれた。
「卑怯者め」
大きく口を開けたまま、重保は前のめりに倒れ、そのまま動かなくなった。残り二人の郎党たちもすでに討たれていた。
 朝焼けに海原が映しだされる海原はこの日も変わりがない。
 
 
重保が殺されたその日、北条義時を総大将にして、前日、まだ何も知らなかった重保が重成に告げたところによれば、当日中に到着するはずの重忠を追討する軍勢が鎌倉を出撃した。
先陣は葛西清重、後陣は堺常秀、大須賀胤信、胤通、相馬義胤、東重胤。この他にも、足利義氏、小山朝政、三浦義村、胤義、長沼宗政、結城朝光、宇都宮頼綱、八田知重、安達景盛中条家長苅田義季、狩野宗茂、宇佐美祐茂、波多野忠綱、松田有経、土屋宗光、河越重時、重員、江戸忠重、渋河武者所、小野寺秀通、下河辺行平、薗田成朝に大井、品河、春日部、潮田、鹿島、小栗、行方さらには児玉、横山、金子、村山の各党など坂東の御家人たちはこぞって加わった。
 この大軍を見た重忠が菅谷に引き返すことを想定し、北条時房和田義盛が関戸(東京都多摩市内)に向かった。
総力を挙げての追討である。(続く)

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畠山重忠272(作:菊池道人)

 六月二十一日になって、時政は義時とその弟である時房を名越邸に呼び寄せ、初めて重忠に謀反の疑いがあることを告げた。
 稲毛重成からの報告によるということも強調した。
「これまで誠を尽くして励んで来た者が何ゆえに謀反を起こすとお考えですか」
納得しかねている義時に時政は、
「このわしが武蔵の者たちを掌握しようとしているのが不満らしい。しかし、わしは鎌倉殿のためにしたことじゃ。それに逆らうというのであれば、過去に武勲があるといえども、許すわけにはいかぬ」
時房も、
「以前にも同様のことがあり、本人に問い糺したところ、無実であったというではないですか。此度も先ずは十分に吟味すべきかと」
 義時はさらに、
「稲毛はどのようなことを根拠に申しているのでしょうか。確かな証拠がない限りは、この義時、追討には同意致しかねます」
義時も時房も、背後では牧の方が仕組んでいるとみている。
「義母上の差し金ではないですか。我儘な選り好みで理を曲げ、政を左右するなど:」
時房が吐き捨てるような調子で言うと、時政は顔をひきつらせながら、無言のままに席を立った。
義時も時房も無言のまま、名越邸を辞去した。

その日の昼過ぎ、義時邸に京から戻ったばかりの大岡時親が訪ねて来た。
「長い間のご滞在、大儀でござった」
義時は先ずは労をねぎらう。
時親はにこやかな表情で、
「妹はきつい気性で、義時どのにも色々と苦労をおかけしていますが」
牧の兄としての低姿勢な態度をとられると、義時も平素の憤懣をぶつけることができない。
時親はひと呼吸置いて、急に真剣な表情をしてみせる。
「ところで、上皇様が武事にひとかたならぬご関心をお寄せであらせられることは貴殿も聞いておられよう」
「いかにも」
「実は近々、北面に加え、西面にも武者たちを集めようとなさっているということなのだが」
時親はわざとゆったりとした口調である。
「いや、これはあくまでも仮にであるが、もしも院が東の方へ兵を向けられるということにでもなった場合、鎌倉を面白く思わぬ者がいればどうなるか」
義時は無言でうなずく。
「例えば、武蔵に於いて、院に靡く者がいるとすれば、この鎌倉はどのようになるであろうか」
「時親どの、武蔵には院と密かに通じている者がいるとでも言われるのか」
「いや、飽くまでも仮の話です。しかし、この時親が上皇様のお立場で、もし鎌倉に兵を向けるとなれば、東国にいる者で鎌倉に不満を持つ者たちを調略するであろう。これは戦の定石ですぞ。武蔵には元来、平家に従う者が多かったではござらぬか」
時親は上皇の脅威を大袈裟に言い立てているが、それは全くあり得ぬことではない、と義時は思った。現に、これよりも十数年後には現実となるのだが:。
「今のうちに、謀反は武士の誉れなどと言う獅子身中の虫を除いておいた方がよろしかろうとそれがしは思うが:。まあ、それがしが牧の兄としてその肩を持つとお考えであるならば無理にとは申さぬが」
時親はそう言い置くと、これから用事があると、退出していった。
 義時は継母への憎しみは度外視して、今後の戦略について思いを巡らした。
 万が一にも、上皇が鎌倉に兵を向けた時に備え、武蔵を意のままに出来るようにしておくのは、理に叶っていると思えてきた。重鎮といわれる存在は、時には、その重さが邪魔になることもあり得る。
 重忠とのこれまでの交誼と秤にかけ、ついに父の意向に沿う決意をした。
 鎌倉を守るためと自身に言い聞かせながら:。
内心では上皇を利用しようとしている時親は、逆にその脅威を吹き込んで、義時を言いくるめることに成功した。 (続く)

作:菊池道人 http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/3.htm

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畠山重忠271(作:菊池道人)

 重忠に謀反の気配あるゆえ、備えあるべしとの触れは時政から密やかに御家人たちに伝えられていった。
 結城朝光や下河辺行平のように謀反の噂に懐疑的な者たちばかりではない。
 むしろ、重忠は北条に反感を持っているので、そうしたことも無きにしも非ず、と受け止めている者も少なくはなかった。
江戸、葛西、河越など重忠と同じ秩父一族の者たちにも触れは届いたが、重忠に注進する者はいなかった。
 北条が実権を握る鎌倉政権の意向に従うことが生き残りのための基本的な手段であるとの認識が定着しつつあり、まして、武蔵の豪族たちは時政に対して二心を抱かぬという誓いを立てたからには、敢えて重忠に味方しようと考える者はほとんどいない。
 勇猛を謳われる坂東武者といえども、長いものに巻かれざるを得ないということに関しては決して例外ではなかった。
 世間の枠組みに組み込まれてしまえば、そこから一人もしくは少人数で抜け出してまで、異議申し立てすることは容易ではない。
 それが人の世の悲しさなのである。
 情報面でも孤立した畠山家関係者。房子と柏原太郎ら十数名の郎党たちが留守を預かる鎌倉屋敷にも、着々と包囲網に取り囲まれていることが知らされない。
 ただ、他家の郎党たちが近頃よそよそしい態度をとっていると感じている者が数名いるくらいである。
 
 まして、菅谷館では夢にも知らぬことである。
 四月の初旬に菅谷に戻った重忠は、鎌倉に騒擾ありとの噂を耳に入れるも、すぐにそれが稲毛重成の不意の訪問が誤解されたことだとわかり、そのままとどまっていた。
 その後は、領内での水利を巡る争いの調停に忙殺されていた。
収拾の目途が立ったのは六月に入ってからである。
(そろそろ鎌倉に行かねば)
そう思っていた矢先、重保に重成からの書状が届いた。
 重忠自身がそりが合わないため、音信も途絶えがちな重成から重保へとは意外な感じがしたが、その内容は、近々、時政の名代として上洛するので、都のことなど教えて欲しいというのである。
 すでに二度、上洛している時政から直接、指導を受ければ良いはずなので、わざわざ重保を呼ぶこともないのにと不可思議な気もしたが、やはり同族の誼は大切にしなければならないか、と思い直した。
「重忠も数日のうちに来ると伝えてくれ」
そう言づけて、重保を送り出した。
 
 六月十九日、重忠は息子の重秀に成清、近常らを伴い、菅谷館を出立する。
 厩から月虎という四歳の栗毛を引き出していると、隣にいた三日月がしきりに喘ぐような鼻息を:。鋭く息を吸い込んでいる。不安がっている様子である。
「戦ではないぞ。安心致せ」
重忠が鼻面をなでてやると、鼻息はいったんは収まったが、いつになく瞳は悲しそうである。
後ろ髪をひかれる思いであったが、重忠は三日月に背を向け、月虎を引いて、表門へと歩んだ。
「よし、行くぞ」
待機していた重秀らに声をかけると、重忠はひらりと月虎に飛び乗る。
外へと歩みを進めた時、後方から甲高い嘶き。
 三日月の声である。
 重忠は胸騒ぎを禁じ得なかった。

 重忠が出発した後も、三日月は鼻息と嘶きを繰り返していたが、夜中、舎人たちが寝ている隙に、老馬とは思えぬくらいの勢いで厩を飛び出すと、重忠が向かったのと同じ方向に走り出した。(続く)

作:菊池道人 http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/3.htm

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畠山重忠270(作:菊池道人)

 いつしか梅雨が明けたかのような濃い青空を海原が映している。
 下河辺行平と結城朝光が稲村ケ崎の浜辺で馬を走らせていた。
「少し休ませるか」
行平が言って、二人は馬の脚を止めさせた。
「それにしても、武蔵での話は:」
馬から降りながら、朝光が呟く。重忠に謀反の噂があることである。確かな情報はまだ把握していないが、それだけに不安の方が先行していた。
「我々下総の人間には武蔵のことはよくわからぬし、時政どのが児玉党を意のままにしていることを根に持っているとも言われているが、重忠どのは我を張り通す男ではない」
幼少の頃から知っている行平の率直な感想である。以前にも同様なことがあった際には、行平、朝光ともに重忠を弁護しているだけに、にわかには信じられぬことである。
 朝光は、
「唯一心当たりがあるとすれば、先般、将軍家ご内室をお迎えする折、都にて平賀どのと重保どのが言い合いになったことだ。それがしもその場に居合わせたが、重保どのは将軍家を侮辱されたことをいたく憤っていた。重忠どのも頼朝公より、将軍家をお護り申し上げるよう遺言されているからには:」
こう言ってから朝光は声を潜めた。周囲に人はいないが:。
「近頃の北条どのは頼家どのばかりか実朝公をもないがしろにしているような感もなきにしもあらずだな」
行平は、
「藤原摂関家はかつては伴大納言(伴善男)どのや菅右大臣(菅原道真)どのを次々と粛清していった。藤家は帝、北条どのは鎌倉殿の外戚
応天門の変や道真左遷など行平は藤原氏による他氏排斥の例を挙げながら、今後を予想していた。それは抗い難い流れでもあった。
行平は一度、唇を噛みしめてから、
「政というものは兎角、力と欲によって動きがちなもの」
「あの折のようにまた重忠どのの疑いが晴れれば良いが」
朝光は祈るような口調である。重忠とは、偶然ではあるが、ここまではお互いの謀反疑惑を弁護しあった相互扶助的な間柄となっている。
行平は腕組みをしながら、天を見上げ、
「あれは頼朝公がまだいらっしゃた頃のことであったな」
頼朝がいたからこそ、重忠への疑惑が解消された、と行平は言いたげである。今でも友の無実が証明されることを願う気持ちに変わりはないが、政治的な力関係の変化という現実から目をそむけることはできない。
 頼朝を崇拝するあまり、「二君に仕えず」発言で難を被った朝光も、真に頼れる人がいないことを再認識せざるを得なかった。
 この二人が抱いたような疑念や違和感というものは、時に大きな流れに押し流されて、見過ごされてしまうということはありがちなことなのである。
 
同じ頃、名越の北条邸では時政、義村、重成による謀議が着々と進行していた。
「弟の重清は信濃、重宗は陸奥に赴き、手薄になっている。まずは重保を誘い出す方がよろしかろうと」
重成の頭はこれまでにないくらいに冴えている。重忠らを葬り去れば、自分が秩父一族の惣領に取り立てられるとの野心によるものである。
「しからば、重忠謀反は重成どのの知らせによるものとしよう。牧からの話では、義時の奴が納得しないであろうからな」
継母との不和や重忠との親交を考え、義時にはまだ策謀を漏らしてはいなかった。
(続く)

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畠山重忠269(作:菊池道人)

 夕方になって、時政が状況確認のために大倉館に遣わした郎党が戻って来た。
 長い間蟄居していた稲毛重成が従者を連れて鎌倉に来たので、これは余程の事態が起こったのであろうと、人々が噂したため、とるものもとりあえず、武士たちが集まったのであると言う。
 鎌倉屋敷で御家人たちの留守を預かる郎党たちの中には、早々と国元の主に報せた者もいるので、しばらくは騒ぎは続くであろうが、それもいずれ真相がわかれば収まりそうだということであった。
「これはとんだ事をしてしまいましたな」
重成は済まなさそうな表情をしてみせる。
「いや、そもそもこのわしが招いたのだ」
 時政は苦笑いを浮かべる。
義村はしばらく考え込んでいるような表情をした後で、
「しかし、噂というものは恐ろしいものですな。ないはずの謀反がさも起こるかのように:。これを利用しないという手はございますまい」
すると、時政は目をぎょろりとさせて、
「そうか。噂というものを作り出してしまえば良い。後は噂が噂でなくなるように致せば:」
重成も、
「さすれば、できるだけ口の軽い者を使い:」
謀議は弾むように進展していった。

 小天狗こと識之助が姿を見せなくなって以来、秀子が贔屓にしている中年の水売りがいる。
とはいっても、識之助に対するような男性としての関心はない。それでも、武蔵国江戸の出身で、国元には年老いた母親がいるということは聞いていた。
その水売りが例によって名越近くまで来た時、秀子はそっとささやく。
「武蔵で謀反が起こるそうだよ」
「そうですか」
やや狼狽したような表情になる。
「念のため、国元の母上にも知らせた方が」
「はい。ありがとうございます」
今にも故郷に帰りたそうな表情をしながら、天秤から柄杓で桶に水を入れる水売りに秀子は謀反の主が畠山重忠らしいことも付け加えた。
 この水売りの故郷は同じ秩父一族の江戸忠重の本拠地である。
 秀子は虚言を吐く後ろめたさが北条家への忠節心と自身の功名心のために麻痺しかかっていた。 (続く)

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