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畠山重忠・後書き

ご高覧への御礼を兼ねて かつては鎌倉街道といわれた道がある。横浜市戸塚区内の筆者宅からさほど遠くない所にも通っている。日常的に歩く道でもある。 この物語の主人公・畠山重忠もあの日、この道を通って鎌倉に向かうはずであった。 あくまでも、この道を…

畠山重忠・主要参考文献

主要参考文献 ★史料「平家物語」「源平盛衰記」「源平闘諍録」「吾妻鏡」「玉葉」「義経記」「明月記」「鎌倉遺文」「梁塵秘抄」「愚管抄」「保暦間記」「御室相承記」「承久記」「百錬抄」「曽我物語」「法然上人絵伝」「武蔵七党系図」「伊乱記」「万川集…

畠山重忠287(作:菊池道人)<最終回>

さて、その後の話にもう少しだけ触れて、この物語を結びたいと思う。 先ず秀子であるが、一時は出世欲に目がくらみ、若い命を奪おうとしたことを懺悔して落飾、さる尼寺に入った。 識之助は郷里の伊賀服部にて、忍びの術をさらに極めた上で後進を導いていっ…

畠山重忠286(作:菊池道人)

御所内の一室で後鳥羽上皇と朝雅は碁を打っている。 時政の実朝暗殺の謀が失敗してしまったので、それへの対応についての話し合いを兼ねてであった。 「舅は重忠にしてやられました。我が身を投げ出して無実の証をたてた重忠に心を寄せる者が多く、それゆえ…

畠山重忠285(作:菊池道人)

(あなたが好きだった) 識之助の言葉で秀子は悪夢から覚めた。 蝋燭に点いた火にふうと息を吹きかけて消すと、燭台を下に捨てた。 識之助は秀子が今まで燭台を持っていた手をさっと握りしめると、目で語りかける。「これから逃げるのだ」 が、そこへ現れたの…

畠山重忠284(作:菊池道人)

やがて日は西に傾いていく。それでも姿を見せない左近に識之助は焦りを感じ始めていた。 日が落ちる頃には、実朝が入る湯殿に火がつけられる。かつての思い人が極悪を為す時が訪れるのだ。 いたたまれなくなった識之助は南の方角すなわち名越邸に向かって足…

畠山重忠283(作:菊池道人)

すっかりお手の物である。識之助は築地にひらりと上ると、名越邸内に音もたてずに忍び込んだ。 頃は閏七月十八日の宵。蟋蟀や鈴虫は驚いて鳴き声を止めはしたものの、それ以外は誰にも気づかれることはなかった。 母屋から灯が漏れる。 音もなく忍び寄った識…

畠山重忠282(作:菊池道人)

五辻殿の寝所。 夜更けに、後鳥羽上皇は目を覚ました。 障子の外が異様に明るい。 火でも焚いているかのようだ。「我が姿を見たまえ」 という声。「何者ぞ」「我が姿を見たまえ」 繰り返し呼ぶ声に、上皇は障子を開けた。「あっ」 驚きの声を出したきり、上…

畠山重忠281(作:菊池道人)

黄昏の六角東洞院。 識之助は平賀朝雅邸に鋭い視線を注いでいる。日が暮れ切ったところで、邸内に忍び込み、この館の主を討つ。 そう意を固めていた。 先の三日平氏の乱では、朝雅の軍勢に長滞陣ゆえの気の緩みが感じられたので、奇襲を建言するも却下された…

畠山重忠280(作:菊池道人)

終章 左近山異聞 山並を逆さに映す広沢池。 蜩の声とともに、琵琶を弾いて調子をとりながらの歌声。「仏は常にいませども うつつならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ」 畔にて、歌い奏でているのは左近である。 この歌を氏王丸という…

畠山重忠279(作:菊池道人)

翌二十三日の未の刻(午後二時頃)に鎌倉に戻った義時は、関戸から引き上げて来た三浦義村とともに、大倉館にて、時政に前日の重忠討伐を報告した。 重忠主従は僅か百数十人であったこと、味方は一万を超える大軍であったにもかかわらず、午の刻(正午前後)…

畠山重忠278(作:菊池道人)

鎌倉へ行く道は二俣川の南側に聳える岡を越える。そこを通るはずの敵に備えていた下河辺行平の心は揺れていた。 重忠主従が僅か百数十名。しかも次々に倒され、林が多いこともあり、今や将たる重忠の姿を見つけるのも困難なくらいである。それくらい少ない人…

畠山重忠277(作:菊池道人)

視界に川が入ってきた。 義時の本陣はこの川を越えたところであろうか。 (貴殿を信じておるぞ) 比企一族との対立が深刻化していた頃、義時に向かって言った自身の言葉が思い出された。(だが、義時どのは俺を信じ切ることはなかった。信じ続けていた俺が馬鹿…

畠山重忠276(作:菊池道人)

重秀は飽間太郎と激しく太刀をぶつけ合ったが、勝負はつかずに組み合いとなる。双方とも馬から転がり落ち、互いに上になり、下になりを繰り返す。 近常はいきなり鶴見平次に額を斬られたが、二の太刀は鍔元でしっかりと受け止めた。 そこへ月虎に跨った重忠…

畠山重忠275(作:菊池道人)

眉間にやや皺を寄せながらも、眦をしっかりと上げている重忠。 すでにいささかの動揺も感じられなかった。「父上」 重秀が馬を前に進めながら、「父上はいつか謀反の風聞あるはむしろ武士にとっては誉れとおっしゃいましたね」 「そうだ」「然らば、我らが謀…

畠山重忠274(作:菊池道人)

雲の見えぬ空から照りつける日差し。 重忠は汗をにじませながら、月虎を歩ませている。武蔵国鶴ヶ峰(横浜市旭区内) 。坂は多いが、相模との国境はもうすぐである。二十二日のうちには鎌倉に着くはずであった。 それにしても、菅谷館を出立する時の三日月の悲…

畠山重忠273(作:菊池道人)

二十二日の寅の刻(午前四時頃)。「謀反人だっ、由比ヶ浜の方だぞ」 外からの声で重保は目を覚ました。 物心つくかつかぬうちに仕込まれた武士の習性で、素早く飛び起きるや、刀を手にして、外へ飛び出した。 単身でも現場に駆けつけんとの意気である。宿直の…

畠山重忠272(作:菊池道人)

六月二十一日になって、時政は義時とその弟である時房を名越邸に呼び寄せ、初めて重忠に謀反の疑いがあることを告げた。 稲毛重成からの報告によるということも強調した。「これまで誠を尽くして励んで来た者が何ゆえに謀反を起こすとお考えですか」 納得し…

畠山重忠271(作:菊池道人)

重忠に謀反の気配あるゆえ、備えあるべしとの触れは時政から密やかに御家人たちに伝えられていった。 結城朝光や下河辺行平のように謀反の噂に懐疑的な者たちばかりではない。 むしろ、重忠は北条に反感を持っているので、そうしたことも無きにしも非ず、と…

畠山重忠270(作:菊池道人)

いつしか梅雨が明けたかのような濃い青空を海原が映している。 下河辺行平と結城朝光が稲村ケ崎の浜辺で馬を走らせていた。「少し休ませるか」 行平が言って、二人は馬の脚を止めさせた。「それにしても、武蔵での話は:」 馬から降りながら、朝光が呟く。重…

畠山重忠269(作:菊池道人)

夕方になって、時政が状況確認のために大倉館に遣わした郎党が戻って来た。 長い間蟄居していた稲毛重成が従者を連れて鎌倉に来たので、これは余程の事態が起こったのであろうと、人々が噂したため、とるものもとりあえず、武士たちが集まったのであると言う…

畠山重忠268(作:菊池道人)

久方ぶりの鎌倉である。亡き妻の供養のために相模川に架けられた橋の落慶の帰りに頼朝が病に倒れ、そのことに対する申し訳なさ、というよりは世間の目を気にして、稲毛重成は本拠地の武蔵国稲毛荘(川崎市北部)に蟄居していた。 その重成が北条時政に招かれ…

畠山重忠267(作:菊池道人)

時政は密かに三浦義村を自邸に呼び、二人きりでの会談の席を設けた。 珍しいことである。 義村は義時とは世代的にも近いこともあり、酒を酌み交わしながら語り合うことがよくあったが、その父からわざわざ呼ばれるということはあまりなかった。 一体、どうい…

畠山重忠266(作:菊池道人)

いささか春めいた日差しが菅谷館の厩に差し込む。 齢三十になる三日月がけだるそうな眼差しをしている。馬の寿命は大体、二十数年であるから、長生きである。 今は牧に放たれても、若い馬たちからはぐれて、所在なさそうにしている。隻眼となった鬼栗毛など…

畠山重忠265(作:菊池道人)

正月早々、京の大岡時親から届いた書状を読み終えた時政は、ひとつ肩で息をしてみせる。 書状の内容は、後鳥羽上皇が鎌倉討伐を望んでいて、それを阻止するためには、上皇のお気に入りの朝雅を将軍とするしかないということ。もしそれを実現するならば、朝廷…

畠山重忠264(作:菊池道人)

翌日も続けられた笠懸を終え、汗をぬぐいながら、後鳥羽上皇は、「どうじゃ、京と鎌倉とその方にはどちらが良いかのう」 子供じみた二者択一の質問ではあるが、朝雅にはこれからも長く京に居て欲しいというようにもとれた。そして、近頃、近臣たちが声を潜め…

畠山重忠263(作:菊池道人)

第二十六章 我が心正しければ:。 仁和寺を辞去した時親が夕刻、再度、六角東洞院の朝雅邸を訪ねてみると、屋敷の主は門前まで戻っていた。「お疲れのところを申し訳ござらぬが」 憔悴したような感じのする朝雅に時親がやや遠慮がちな言葉を前置きするが、朝…

畠山重忠262(作:菊池道人)

が、一度は背を向けた静遍は左近を振り返ると、「この琵琶を持っていかれぬか」 「はい」 子供のように素直に左近は答えた。 「これも何かの縁」 と静遍が言いながら手渡す。 左近は母の形見を抱きしめるように受け取った。「ところで、今、拙僧を訪ねて来た…

畠山重忠261(作:菊池道人)

仁和寺に着いた左近は、門前にいた寺男に訳を話し、上覚の添え状を手渡した。 程なく、若い学僧が出てきて、左近を静遍のいる一室へと案内した。 部屋の片隅にやや小型の琵琶がたてかけられているのが目につく。 白象の文様が飾られてあった。「よう来られま…

畠山重忠260(作:菊池道人)

高雄山神護寺の境内。 底冷えのする中、左近は枯葉を踏みしめ、歩いている。 これよりもおよそ一年半前の建仁三年(1203)七月二十一日に亡くなった文覚の墓参りをしてきたところである。 後鳥羽上皇を激しく非難したことで、対馬へ流罪と決まり、その護…

畠山重忠259(作:菊池道人)

本作を初めてご覧になられる方はこちらをhttp://historynovel.hatenablog.com/archive/2014 同じ出来事でも、立場や感情によっては、全く別の受け止め方となる。 名越の北条邸では、重保と平賀朝雅と重保との一件を聞いた牧の方が夫の時政に、「あの畠山の倅…

畠山重忠258(作:菊池道人)

たまりかねた重保は、「お言葉が過ぎませぬか」 「何っ」「ご恩を受けております鎌倉殿をかように悪し様におっしゃるのは如何なものかと」 重保にしてみれば、父から戒められていた手前、辛抱を重ねたつもりであったが、あまりの朝雅の言いぐさにやむにやま…

畠山重忠257(作:菊池道人)

重保は成清の心配や父の言いつけを先ずは理解し、大過なく役目を果たすことを心がけていた。 同じく使者の一行に加わっていた北条政範は、実母の牧の方が重忠のことを悪し様に言っていたからなのであろうが、重保に対して、露骨に嫌そうな態度を見せたりもし…

畠山重忠256(作:菊池道人)

「重保はどうであろうか。十五になったことでもあるし、そろそろ大人の役目もさせてみなければならぬ」 が、成清はやや困惑したような表情である。「如何致したか」「重保どのは真正どのとは違うかとは思いますが」 すでに過去の話となっている件を期せずし…

畠山重忠255(作:菊池道人)

「冷えるようになったな」 秋深まりゆく頃の夕暮れ時である。 鎌倉屋敷の居間で成清と向かい合って座していた重忠は腕を組みながら身を縮めてみせる。 「年が明ければ、俺も四十二歳。随分と年をとったものよ」 成清はにこりとしながら、「何をおっしゃいま…

畠山重忠254(作:菊池道人)

第二十五章 因縁の糸 後鳥羽上皇はいたく機嫌がよい。 伊勢での平家残党の反乱、世にいう「三日平氏の乱」を鎮圧した功により伊勢、伊賀両国の国地頭とし、それに加えて北面の武士さらには院殿上人にまで昇進させた平賀朝雅を側に呼んでである。 朝雅は鎌倉…

畠山重忠253(作:菊池道人)

山内経俊は追討軍に加わったものの、当初の不手際で結果的に反乱の規模を大きくしてしまった。 それゆえに、国地頭を解任されることは避けられない。 浮かぬ思いのままに自邸に引きこもっていた。(どうしていつもこうなのか) 頼朝挙兵を前にして、助力を要…

畠山重忠252(作:菊池道人)

朝雅率いる追討軍が伊勢国に入ってから十日が過ぎたが、軍議を開いたものの、それより先に進撃する様子はなかなか見せない。 反乱軍の前線基地ともいうべき富田の城郭では、その主たる富田基度が斥候を努める識之助から追討軍の様子を聞いていた。「日が経つ…

畠山重忠251(作:菊池道人)

脂ぎった帝王である。 この年、数え二十五歳の後鳥羽上皇は祖父である後白河法皇の野心を受け継いでいるかのようである。 帝位はすでに土御門天皇に譲ってるが、政治への意欲はむしろこれから盛んになっていくようである。加えて、相撲、狩猟などの武芸を好…

畠山重忠の今後の発表方法について

平素は大変お世話になっております。さて、拙作「畠山重忠」、続きの発表が大変遅れておりますこと、心からお詫び申し上げます。 これまでは当ブログでは、掲載先のオリーブニュースのリンクとあらすじを掲載しておりましたが、251回から本文も掲載いたしま…

試験投稿

写真の試験投稿です。

試験投稿2

本日二回目の試験投稿です。

試験投稿

平素はお世話になっております。試験投稿です。

畠山重忠

重忠ら秩父一族の本拠地に勢力拡大をもくろむ北条氏。反発する弟や息子たちに、権勢を巡って争うのは真の武士の道にあらず、と重忠は力説した。 その頃、伊勢や伊賀では平家残党の反乱が起こる。それに加担する識之助に対して、師匠である左近は冷ややかな態…

畠山重忠

比企一族を滅ぼした北条氏は、鎌倉のある相模と北隣の武蔵国を戦略的観点から重要視するようになってきた。在地豪族の重鎮である重忠の存在は? 245 http://www.olivenews.net/news_40/newsdisp.php?n=150290 246 http://www.olivenews.net/news_40/ne…

畠山重忠

頼朝の死後、鎌倉政権は粛清の季節を迎えていた。独裁的な頼家の手法に不満を持つ御家人たちの不満を後ろ盾に北条時政は将軍の舅として権勢を振るう比企能員の排斥を企てる。重忠の苦悩は続く。 239 http://www.olivenews.net/news_40/newsdisp.php?n=150…

畠山重忠

頼朝の死は鎌倉政権内の力関係を大きく変えた。 源氏の家督を継いだ頼家は独自路線を打ちだそうとするが、独裁的な手法は御家人たちの反感を買う。その一方で、北条氏が台頭してきた。「わが子らを護るように」と頼朝から遺言された重忠には苦悩の日々が:。…

畠山重忠

己の来し方の罪深さを告白した重忠に法然は念仏を唱え、ひたすらに仏にすがることの大切さを説いた。源平争乱で焼けた東大寺も再建され、ようやく世相も安定するかと思われた矢先に突然:。 226 http://www.olivenews.net/news_40/newsdisp.php?n=150198 …

畠山重忠

頼朝が征夷大将軍に任じられ、体制固めの時代へ。しかし、熊谷直実が土地を巡る 裁判への不服から出奔するなど、鎌倉政権の未熟さは否めない。 奥州攻めで戦没した将兵の霊を慰めるために永福寺の造営、武蔵国における児玉党と丹党の諍いへの仲裁。重忠も新…

畠山重忠

泰衡は頼朝の圧力に屈し、義経の首を差し出すも、頼朝は奥州攻めを強行した。その先陣を努めるのは重忠。三重の土塁と二重の堀に囲まれた要害・阿津賀志山が立ちはだかる。 212 http://www.olivenews.net/news_40/newsdisp.php?n=150100 213 http://ww…