畠山重忠252(作:菊池道人)

 朝雅率いる追討軍が伊勢国に入ってから十日が過ぎたが、軍議を開いたものの、それより先に進撃する様子はなかなか見せない。
 反乱軍の前線基地ともいうべき富田の城郭では、その主たる富田基度が斥候を努める識之助から追討軍の様子を聞いていた。
「日が経つにつれ、いささか気が緩んだのか、そこかしこで、笑いあう兵たちもおります」
敵に見つからぬように忍び込む術には心得がある、と基度に仕えている旧友の国丸を通して、自ら、斥候の役を買って出たのであった。
 かつてこの伊勢で盗人など働いていた左近から学んだ術を活かすのはこの時こそと張り切っていたのである。 警戒する者たちは、無事に時が過ぎると、気も次第に緩んでくるので、そこが狙い所とも聞いていた。
識之助は朝雅の軍勢の様子を観察しているうちに、そこにつけ込む術というものも頭に浮かんできていた。
 それを実行した時の成果というものが想像され、居ても立ってもいられなくなる。
もし実現出来れば、自身は大手柄をたてることができる。
 胸の高鳴りを抑えきれずに、
「恐れながら:」
やや上目遣いの識之助は、床机に腰を下ろしている基度に、
「この識之助、敵陣に忍び入り、火を放ちます。敵が騒ぎ出しましたら、速やかに奇襲をおかけください」
敵陣の様子を見ながら、思いついた作戦を言上したのである。
 が、基度は呆れたような表情で、
「いつ出撃するか否か、そなたごときが案じることではない。敵の様子さえ見ていてくれれば良い」
それだけ言うと、ぷいと立ち上がり、去っていった。
 鼻から相手にしてもらえなかった。
 もともとが低い身分である上に、俄に軍勢に加えてもらったゆえなのであろう。
 が、識之助は長年、鍛えて身につけた己の技術を認めてもらえない悔しさは如何ともし難かった。

 四月十日、俄に追討軍は、富田城に攻撃を仕掛けた。
追討軍が伊勢に入ってから十数日過ぎると、守る側にも気の緩みが生じてきたが、そこを突いたのであった。
 基度やその弟の盛光は、
「いつぞやの無念を晴らすは今日、この時ぞ」
と大声で味方を鼓舞しながら、太刀を振るう。
 いつぞやの無念とは、元暦元年、同じく伊勢で平信兼らが反乱を起こし、義経に討たれた時のこと。基度らの父、家資も討ち死にを遂げている。
 が、それ以上に、壇ノ浦の戦いでの壊滅的な敗北も忘れられない。
 その怨念を今この時にこそと、識之助も懸命に太刀を振るう。
「先ずは平賀朝雅とやらを血祭だ」
 旧友国丸は返り血だらけの顔で識之助の前に進み出たが、その直後、胸に矢が突き刺さり、どたりと前に倒れた。
 が、倒れた友を介抱する暇もなく、敵が数名なだれ込んで来た。
 識之助は必死の形相で斬り結んだ。

 富田城は数時間のうちに、攻め落とされた。
 安濃、若菜、日永、若松と平家残党の要塞は至る所にあり、一時は総勢一千人にも及んだが、朝雅軍の破竹の進撃にこれらの要塞はことごとく攻め落とされた。
反乱軍の総帥たる若菜五郎も戦死、隣国の伊賀国に立ち上がった者たちもほとんど戦わずに霧散した。
僅か三日間のうちに、平家残党の反乱は壊滅状態となったので、これを「三日平氏の乱」という。 (続く)

作:菊池道人 http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/3.htm

本作はオリーブニュース http://www.olivenews.net/v3/ にも掲載しております。

本作を初めてご覧になられる方はこちらをhttp://historynovel.hatenablog.com/archive/2014

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