畠山重忠255(作:菊池道人)

「冷えるようになったな」
秋深まりゆく頃の夕暮れ時である。
 鎌倉屋敷の居間で成清と向かい合って座していた重忠は腕を組みながら身を縮めてみせる。
「年が明ければ、俺も四十二歳。随分と年をとったものよ」
成清はにこりとしながら、
「何をおっしゃいますか。まだ四十を少し越えたばかりではありませぬか」
「いや、年月の長さだけではない。こう色々な事が変わり過ぎると、急に年をとった気にもなるものだ」
頼朝の死から数年の間、その後継の将軍も頼家からまだ十三歳の実朝へとめまぐるしく代替わりした。それも血生臭い政争がらみである。
 変転の激しさに思いを馳せる重忠である。
「今の鎌倉殿は大変優しげな御方でいらっしゃいますね」
成清が言うように、実朝は武芸よりも和歌などを好んでいる。
「そうだのう。まだお若いので、変わられることもなきにしもあらずだが、一番上に立つ御方は穏やかであるのがよいかもしれぬ」
性格的に激しかった頼家の代は争いが絶えなかった。
 対照的に穏やか過ぎる弟の実朝であるが、それだからこそ、安らかな世となることを重忠は期待している。
「それにしてもご内室に都の姫君とは」
成清の言う都の姫君とは坊門信清の娘のことである。当初、実朝の妻には鎌倉御家人の足利義兼の娘をという声があったが、実朝自身が京都の公家との縁組みを強く望んでいたのであった。
「おそらくは、朝廷とも和して行かれるとのご存念かと思いますが」
成清の言うように、実朝自身は朝廷に対して協調的な姿勢を志向しているかのようである。
 東国の豪族たちには、朝廷からの呪縛から解き放れたいとの強い願望があった。
 初代の頼朝は、それを巧みに吸い上げつつも、時に応じて朝廷と妥協もしていた。
実朝は協調路線をさらに進めようとの心づもりなのか。
「まだお若いのに、ご内室についてはご自身の希望をはっきりとお口にされるとは気丈なことではないか。それに坂東人の心意気とてお忘れではないはずだぞ。将門の合戦の絵をご所望のようだというではないか」
重忠が言うように、実朝は坂東独立政権の先駆者ともいうべき平将門にも興味を持ち、その絵を京都の絵師に依頼している。
「都の雅と東国の剛毅。この二つを兼ねあわせた政を望んでおられるやもしれぬ」
そこへ、
「申し上げます」
「おう、近常か。入れ」
本田近常が入ってきた。
「先程、結城どのの郎党とたまたま会って話を聞いたのですが、近々、都から将軍家ご内室をお迎え申し上げるに当たり朝光どのが使者のお役目を仰せつかり、畠山どのからも然るべき御方をとの話であるとのことですが」
「そうか。それでは考えねばならぬな」
重忠は人選に思いを巡らす。
子供たちも大きくなっていることも念頭に浮かんできた。 (続く)


作:菊池道人 http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/3.htm

本作はオリーブニュース http://www.olivenews.net/v3/ にも掲載しております。

本作を初めてご覧になられる方はこちらをhttp://historynovel.hatenablog.com/archive/2014

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