畠山重忠256(作:菊池道人)

「重保はどうであろうか。十五になったことでもあるし、そろそろ大人の役目もさせてみなければならぬ」
が、成清はやや困惑したような表情である。
「如何致したか」
「重保どのは真正どのとは違うかとは思いますが」
 すでに過去の話となっている件を期せずして成清は蒸し返す。直情径行な真正は感情的になって我を張ることがままあり、それがために任地である沼田御厨で諍いを起こした。
 額に傷を負わせた伊勢三郎への恨みが根底にあり、御厨の事実上の領主であった員部家綱と三郎とのつながりを口実としてのことであった。
 どうしても私怨が先行しがちであったことは否めない。
 それに比べて重保は個人的な感情よりも物事の筋道に頭を巡らす方だが、それがゆえに理屈に合わないことへは激しく反発する。父や兄たちにも遠慮なく物を言うこともある。そうした性格が周囲と摩擦を生じさせないかという危惧もなくはない。
 成清が言うように、内面的なものこそ違え、外形的な不安には共通するもがある。
 「真っ直ぐな気性の御方ゆえ、それが仇になるようなことはないかと」
真正を推挙したことが、結果的に重忠を諍いに巻き込む形となった。成清はそうしたことへの反省からやむにやまれずに懸念を述べていることも重忠は理解していたが、
「確かに、重保は腹の底を隠しきれぬところはある。だが、獅子は我が子を谷に突き落とすというように、重保にも試練を与えてみようかと思うのだ。あ奴にとっては息苦しい役目かもしれぬが、己の身を慎む機会もなければいつまで経っても同じままだ。真正の時は、俺が伝える言葉が足りなかったと思う。今度は、じっくり言って聞かせてみようかと思うのだ」
成清は傍らの近常の方に目をやる。近常は、
「そこまで殿が腹を据えていらっしゃるなら、その思いを重保どのにお伝えなされ」

京への出発を前にした重保を重忠は呼び寄せた。
血の気の多さが仇にならぬかと成清も案じていたことも伝えた上で、
「良いか。それでもそなたを京に行かせるのは、鎌倉や武蔵とは違う場というものをそなたに見せたいからだ。そなたは思ったままを言葉にするが、京の人々というものは、はっきりとは言葉にせずに、聞く者がその意を察するような言い回しをする。そうした所もあるのだ。それを学ばせたいからだ」
「わかりました。この重保、身を慎み、つつがなくお役目を果たす所存です」
凛とした我が子の声に重忠は先ずは安堵した。そして、こうも付け加える。
「実朝どのは御家人たちの勧めよりも自らのご意志でご内室をお決めになられた。一見、優しげな風情ではあるが、気丈な御方でいらっしゃる。そなたたち若い者は、しっかりと実朝どのを支えていくのだ」
「はい」
重保は爽やかに返事をした。
「色々と不安な事も多いと思うが、困った時には、結城朝光どのに相談するがよい」
かつて謀反の疑いをかけられた時に真っ先に弁護してくれた朝光が共に上洛することが重忠にとっては安心材料であった。

前大納言の坊門信清の娘を実朝の正室として迎える使者として選ばれたのは、この他に、北条時政の子である政範、千葉常秀、八田知尚、和田宗実、土肥惟平、葛西十郎、佐原景連、多々良明良、長井時秀、宇佐美祐茂、佐々木盛季、南条平次、安西四郎らである。
 一行は元久元年(1204)十月十四日に鎌倉を出立した。 (続く)

作:菊池道人 http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/3.htm

本作はオリーブニュース http://www.olivenews.net/v3/ にも掲載しております。

本作を初めてご覧になられる方はこちらをhttp://historynovel.hatenablog.com/archive/2014

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