畠山重忠257(作:菊池道人)
重保は成清の心配や父の言いつけを先ずは理解し、大過なく役目を果たすことを心がけていた。
同じく使者の一行に加わっていた北条政範は、実母の牧の方が重忠のことを悪し様に言っていたからなのであろうが、重保に対して、露骨に嫌そうな態度を見せたりもしていたが、それに対しては努めて気にしないようにしていた。その政範は尾張に着いた頃から、頭痛などの体調不良を訴えるようになっていたが:。
ともかくも、一行は十一月三日に京に着いた。
この日は、土御門天皇の石清水八幡宮への行幸のために、殿上人たちは多忙を極めていたので、坊門屋敷への訪問は翌四日となる。
病気のために宿所で静養の政範を除く使者一行は前大納言である信清とその娘に面会した。
「遙々と大儀であるぞ」
「お言葉忝なく」
列座する一行の代表格である結城朝光が挨拶すると、重保はそれに習って深々と頭を垂れる。
「これを機に京と鎌倉が末永く和し、太平の世となることを信清願うと、実朝どのに伝えられよ」
「かしこまって候」
朝光も重保らも再度、礼をした。
目の前の信清が薄化粧をし、歯を黒く染めているのは、見慣れぬ風習のせいか奇異にも感じられたが、その傍らに座す娘は上品な風情を湛えていて、美しい。
重保は実朝がうらやましくも思えていた。
かくして初日の役目はつつがなく終えたが:。
その夜は、六角東洞院(京都市中京区)の平賀朝雅邸で慰労の宴が催された。
亭主の朝雅は先ずは一行を労い、会は和やかに始まった。
しかし、朝雅は自身にとっては義弟に当たる政範が病に倒れたことを聞くと、
「おそらくは長旅で疲れたのであろう」
そこまでならば大事にはならなかったが、傍らに酒を注ぎに来た重保に向かい、
「その方らにこのような長旅をさせるとは:」
かなり酔いが回っているようだ。
「そもそも、当初は足利どのの娘をお迎えするという話ではないか。それを都の女性でなくてはならぬとは:」
明らかな実朝批判である。
「和歌ばかり詠われて、武芸には見向きもされぬ。上皇様ですら武芸の鍛錬に励まれるというのに、武家の棟梁ともあろう御方が」
余りにも露骨な物言いに重保は唖然としている。
「征夷大将軍とはどのような字を書くか。夷を征するというではないか」
公家出身の形だけの将軍が誕生するのは、これよりも少し後のことである。この時期は、将軍といえば、文字通り、先陣に於いて指揮をとる役目という印象が強かった。
それに加えて、朝雅は後鳥羽上皇から平家残党の反乱を鎮圧した汝こそが征夷大将軍にふさわしいということも言われている。
上皇自身は冗談のつもりだと言っていたが、朝雅には本気にもとれていた。
当初は戸惑いもあったが、日が経つにつれて、実朝が単に頼朝の実子というだけで将軍になるということに合点のいかぬ思いを持ち始めていたのであった。
実朝と同じ清和源氏という血筋に対する自負もそれに拍車をかける。
朝雅は重保に近寄ると、肩を叩きながら、
「どうだ。そなたも坂東武者として、あのような女々しき御方を棟梁と仰ぐのは情けなくはないのか」
常軌を逸した言い方に重保は不快感を感じたが、何とか聞き流そうと努めた。
尿意を口実に席を外そうと思いついたが、
「どうじゃ、そうは思わぬか」
朝雅は執拗に同調を求めて来た。 (続く)
作:菊池道人 http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/3.htm
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