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畠山重忠266(作:菊池道人)

 いささか春めいた日差しが菅谷館の厩に差し込む。
 齢三十になる三日月がけだるそうな眼差しをしている。馬の寿命は大体、二十数年であるから、長生きである。
今は牧に放たれても、若い馬たちからはぐれて、所在なさそうにしている。隻眼となった鬼栗毛など同世代の馬たちは皆、他界していた。
厩の中の方が居心地が良さそうなのである。
「随分と年月が過ぎたものだな」
老馬のたてがみをなでながら、重忠は話しかける。
三日月はそれに応じるかのように、ぶるると小さく身震いをしてみせた。
「三日月は達者かい」
 重忠の母が現れた。
 母の頭もすっかり白くなっていた。
「この馬が生まれた時のことを思い出しますね」
母も感慨深げな表情になる。
伊勢三郎が侵入してきた時、重忠は生まれたばかりの三日月を懸命にかばっていた。
「おまえ様に飼われた馬たちは本当に幸せなことですこと」
馬をこよなく愛する我が子のことを今更のように言う母。重忠も馬たちとの思い出が蘇ってきたが、最も痛恨なのは、由比ヶ浜での三浦一族との戦いで、和田義茂にその時に乗っていた山風を射られた怒りから、母方の祖父である三浦義明を攻め、自害に追い込んでしまったことであった。
「それがしが馬を思う余りに、あのようなことになり:」
改めて重忠は母に詫びるが、母は穏やかな表情である。法然の前に懺悔した時のことも思い出された。
母にもそしてその兄である三浦義澄にも重忠は許されてきたのである。
 それがどれだけ有り難いことであるのか:。
 涙が溢れそうになった。義澄はもういない。そして、残された三浦の一族、和田義盛や三浦義村のことに思いが及んだ時に、ふと不安がよぎった。
彼らも心底に自分を許してくれているのか。
多忙な日々には、なかなか思いを巡らすことはなかったが、今、しばし立ち止まったような時に心に浮かんでくる。
その不安を母に話してみたくなったが、その時、馬蹄の音が:。
 河越家を訪れていた弟の重清と重宗が帰ってきた。馬から下りた二人に重忠は、
「重時どののご様子は如何であったか」
「だいぶ良くなられた様です。重忠どのにはくれぐれもよろしくとのことでした」
重清が答えた。義経の舅であることが理由で誅殺された河越重頼の子、重時が風邪をこじらせたと聞いたので、弟二人が見舞いの使者となった。重頼の祖父である重隆と対立したことで、父重能の代にはしっくりいかなかった河越家との関係であるが、三浦との戦いでは、同族の誼で援軍に駆けつけてきてくれた。
そうした恩義もあって重忠は河越家には重頼の死後も気を遣っていた。
「二人とも大儀であったな」
弟たちをねぎらった後で、重忠は思い出したように、
「そろそろ農期だな。そなたたちは任地へ戻った方が良かろう」
重清は信濃に、重宗は陸奥にそれぞれ地頭となっている荘園がある。伊勢の領地を代官の真正に任せ切りにしたために災難を被った重忠は任地の統治に関しては人一倍気を遣うようになっていた。
そうした兄の意向を知っている弟たちも素直にそれに従おうとしたが、重宗が、
「ところで、我々が河越館に着いた時、確か北条時政どのが引き連れていた郎党らしき男が辞去するところでした」
「そうか」
重忠は平静に返事したきり、それ以上は応じなかったが、心中は波立ってきた。
 頼朝在世中は義経の妻の実家ということですっかり蚊帳の外のようであった河越一族を、北条がここに来て重要視しているのは明らかである。
すでに児玉党など武蔵の豪族たちの取り込みに力を入れてきていた北条ではあるが、重忠にはそれと対抗して、という気持ちがもともと薄い。しかし、重宗の言葉に引っかかるものもなくはないが:。
重宗も以前に重忠からたしなめられた手前、露骨な言い方は控えていたが、それでも気になって、雑談にことよせて話したのか。それ以上は触れなかったが:。
厩の中の三日月も耳をぴくりとさせていた。 (続く)

作:菊池道人 http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/3.htm

本作はオリーブニュース http://www.olivenews.net/v3/ にも掲載しております。

本作を初めてご覧になられる方はこちらをhttp://historynovel.hatenablog.com/archive/2014

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