畠山重忠277(作:菊池道人)

 視界に川が入ってきた。
 義時の本陣はこの川を越えたところであろうか。
 (貴殿を信じておるぞ)
比企一族との対立が深刻化していた頃、義時に向かって言った自身の言葉が思い出された。
(だが、義時どのは俺を信じ切ることはなかった。信じ続けていた俺が馬鹿なのか)
しかし、頼朝の最期の言葉も思い出される。
(人を信じるということこそ真の勇気がいることなのだ) 
 そうだ、そのことを義時に伝えよう。そのために、今、馬を走らせているのだ。
 重忠は決意を新たにした。
と、その時である。
 突如、月虎の喉に矢が刺さった。悲鳴を上げてもんどりうつ馬から重忠は転がり落ちた。 
 甲冑を身に着けていない体には相当な衝撃だが、横向けになり、息も絶え絶えの月虎を目にすると、由比ヶ浜で三浦方の和田義茂に山風を射られた時のことも思い出し、激しい怒りが湧いてくる。
「畠山どのか」
月虎を射た兵が叢の中から徒立ちで重忠の前に現れる。
「この重忠を射るならば殊勝であるが、馬を射るとは見下げた奴だ」
重忠は立ち上がり、太刀を抜く。
兵は鉾で突いて来るが、重忠はそれをしたたかに薙ぎ払い、返す刀で真っ向上段、頭から叩き斬った。
断末魔の叫びとともに、返り血が飛ぶ。
 敵が倒れるのを見届けると、重忠は月虎に駆け寄った。
 すでに息は絶えていた。
 重忠はひざまずき、手を合わせた。
 と、その時、背後から馬蹄の音が:。
 敵か味方か。
 が、現れたのは人を乗せていない老馬。三日月である。
 菅谷館からここまで後を追って来たのであった。
 年老いて、脚力は衰えていたが、残された力を振り絞ってやっと主に追いついたのだ。
 三日月は重忠の傍に寄ってくると、鼻面をこすりつける。
 老骨に鞭打って、渾身の力で走ってきたせいか、息はいつになく荒い。
 重忠の目から零れ落ちた涙が頬についた返り血を一筋ながらも洗い落とす。
 鼻面をなで、そして頬ずりしながら、
「よくぞ、ここまで:。それ程までにして:」
背に負って鵯越の急な坂を下った恩を忘れていなかったのであろうか。いや、きっとそうに違いない。
菅谷を出立する時の鼻息と悲しげな瞳は、予感がしていたからなのだ。
 余りにも情けなき人々の姿に比べ、何と健気な馬の心であるのか。
 しばらく、三日月をなでながら、休ませた後、
「これから本陣に向かい、義時どのに物申すのだ。信じあえる世を創るべし、とな」
言い聞かせながら、重忠は三日月に飛び乗った。
 この馬に乗るのは本当に久方ぶりであるが、乗り心地は昔のままだ。
 足で腹を叩くと、三日月は走り出す。
 信じられないくらいに速く。
 川に足を突っ込んだ。
 水飛沫を上げながら、川の流れもものともしない。
 二俣川と呼ばれるこの川が重忠の脳裏でなぜか京の白川の記憶と重なっている。
 静にこの馬を見せてやった時のことであった。(続く)

作:菊池道人 http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/3.htm

本作はオリーブニュース http://www.olivenews.net/v3/ にも掲載しております。

本作を初めてご覧になられる方はこちらをhttp://historynovel.hatenablog.com/archive/2014

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