畠山重忠・後書き

ご高覧への御礼を兼ねて

 

 かつては鎌倉街道といわれた道がある。
横浜市戸塚区内の筆者宅からさほど遠くない所にも通っている。日常的に歩く道でもある。
 この物語の主人公・畠山重忠もあの日、この道を通って鎌倉に向かうはずであった。
 あくまでも、この道をいつも通りに:。それが最期に当たっての意志であった。

今から十年近く前のことであろうか。自宅から歩いて約一時間、山を一つ越えたくらいの場所にある二俣川の古戦場近くを歩きながら、いつの日か、重忠を主人公にした小説を描いてみようと思い立った。そして、その時の漠然としていた思いは歳月を重ねるうちに強いものとなり、いつしか使命感、義務感に近いものになっていた。
 拍車をかけた理由。それは近年の出版界の傾向と筆者の考え方が全く噛み合わないことであった。無理にこちらから歩み寄ろうとしても、結果が伴わず、自分を見失うだけであった。
 そのような時、物語の最後に出て来た、「さかさ矢竹」伝説に励まされた。
「我が心正しければ、この矢に枝葉を生じ、繁茂せよ」
矢を地に突き刺しながら残した重忠最期の言葉。矢は竹となって、今でも横浜市旭区鶴ヶ峰の地に生えている。
 「吾妻鏡」にも「鎌倉遺文」にも載っていない伝説の世界でのこの言葉こそが今の自分に必要なのだ、と意を固めた。自分の思い通りに書く、という初心、原点に立ち返ることが出来たのであった。
 それを具現化する手段として、ネット上での発表を選んだ。
 これについては賛否両論あるかと思うが、敢えて批判には怯まない覚悟も決めた。
 伝達の手段は何であれ、心を伝えることこそが肝心なのだ。
 吉田松陰勝海舟が師と仰いだ幕末の洋学者・佐久間象山「東洋の道徳、西洋の技術」、早稲田大学野球部の飛田穂洲初代監督「戦術技術は新しく、精神は古く」を道しるべに歩みを進めた。そして、早大歴史文学ロマンの会の先輩で平成27年2月に58歳の若さで逝去された作家・火坂雅志氏が文壇デビュー以前に出版社勤務の傍らに文学修行を続けていた頃、筆者も含めた当時の在校生たちに贈った「サークルも文学も辞めたらその時点で最後」とのコメントも力強く心に蘇ってきた。

 筆者にとっての何よりの僥倖はオリーブニュースという気骨と寛容の精神に富んだ電子新聞を発表の場とすることが叶ったことであった。同誌には厚く御礼申し上げる。
 ただ、いささかの懸念材料を変則的な形での完結になった事情説明とともに申し添えると、同誌の新着記事公開 が今年に入ってからほとんど行われず、本作も今年3月現在、昨年12月に公開の250回 までとなっていることである。
 結局、他日の公開を期して最終回まで同誌への投稿は続けながらも、筆者が管理運営するブログ「歴史小説パーク」にて、一足先に完結という形をやむを得ずにとらせて頂いた次第である。
 筆者は同誌編集部の事情等の詳細については知り得る立場ではないが、状況への対応に至らぬ点があり、読者諸兄姉にはご迷惑、ご心配をおかけしたことをお詫び申し上げなければならない。
 そして、 IT社会、言論界の健全なる発展のためにも、オリーブニュースの一日も早いなおかつより強化充実されての活動再開を心から願う次第である。

それにしても、IT普及による出版形態の変化、多様化を物語の背景となった王朝政治から武家政治への変転に重ね合わせ、様々な思いが浮かんでくる。その他にも、現代の社会や人間模様を彷彿させる場面も少なからずあり、そうしたことも折に触れ、語りたい気もするが、何を置いても、本作をご高覧くださった諸兄姉には、心から御礼申し上げる次第である。
 
平成29年春分
  菊池道人

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畠山重忠・主要参考文献

主要参考文献

★史料
平家物語」「源平盛衰記」「源平闘諍録」「吾妻鏡」「玉葉」「義経記」「明月記」
「鎌倉遺文」「梁塵秘抄」「愚管抄」「保暦間記」「御室相承記」「承久記」「百錬抄
曽我物語」「法然上人絵伝」「武蔵七党系図」「伊乱記」「万川集海」「新編武蔵風土記稿」「今昔物語集」「傀儡子記」「古今著聞集」

★研究書
畠山重忠貫達人 吉川弘文館
「シリーズ・中世武士の研究・第七巻 畠山重忠」清水亮他 戎光祥出版
「武蔵武士」渡辺世祐 八代国治 有峰書店
「武蔵武将伝」稲垣史生 歴史図書社
秩父氏の盛衰 畠山重忠と葛西清重」埼玉県立武蔵嵐山史跡の博物館 葛飾区郷土と天文の博物館編 勉誠出版
「動乱の東国史2 東国武士団と鎌倉幕府」高橋一樹 吉川弘文館
「武蔵武士団」関幸彦 吉川弘文館
吾妻鏡必携」関幸彦 野口実編 吉川弘文館
「鎌倉武士の実像 合戦と暮らしのおきて」石井進 平凡社
「鎌倉の豪族Ⅰ」野口実 かまくら春秋社
鎌倉幕府と東国」岡田清一 続群書類従完成会
「中世武家の作法」二木謙一 吉川弘文館
「古文書の語る日本史3鎌倉」安田元久編 筑摩書房
「改訂 郷土史事典11 埼玉県」木村進 秋葉一男編 昌平社
「改訂 郷土史事典14 神奈川県」稲葉博編 昌平社
「平泉 北方王国の夢」斎藤利男 講談社
「日本の合戦一 源平の盛衰」桑田忠親編 新人物往来社
「海と水軍の日本史・上」佐藤和夫 原書房
「人物日本の歴史4武士の挑戦」高橋富雄他 小学館
「人物日本の歴史5源平の確執」和歌森太郎他 小学館
「週刊 新発見!日本史06鎌倉時代1」川合康編 朝日新聞出版
「日本の歴史09頼朝の天下草創」山本幸司 講談社
源平合戦の虚像を剥ぐ」 川合康 講談社
源義経の合戦と戦略」 菱沼一憲  角川書店

源義経元木泰雄 吉川弘文館

鎌倉幕府成立史の研究」川合康 校倉書房

義経伝説」高橋富雄 中央公論社
「伊豆水軍物語」永岡治 中央公論社
「相模のもののふたち」永井路子 有隣堂
「鎌倉源氏三代記」永井晋 吉川弘文館
鎌倉幕府の転換点」 永井晋 日本放送出版協会
「動物のことば入門」ウルリッヒ・クレバー 増井光子監修 林進訳 どうぶつ社
「斎藤別当実盛伝」奈良原春作 さきたま出版会
白拍子静御前」森本繁 新人物往来社
熊谷直実高橋修 吉川弘文館
北条義時」 安田元久 吉川弘文館
梶原景時 知られざる鎌倉武士の本体 」梶原等 新人物往来社
法然」大橋俊雄 講談社
「日本仏教史」辻善之助 岩波書店
「文覚上人一代記」相原精次  青蛙房
「平家後抄」 角田文衛 講談社
三重県の歴史」山川出版社
「日本中世都市の世界」網野義彦 講談社
「荘園」永原慶二 吉川弘文館
「続々日宋貿易の研究」森克己 国書刊行会
「丹生の研究 歴史地理学から見た日本の水銀」松田寿男 早稲田大学出版部
「古代の朱」松田寿男 学生社
後鳥羽院政の展開と儀礼」谷昇 思文閣出版
「日本仏家人名辞書」鷲尾順経 東京美術
「遊民の系譜 ユーラシアの漂泊者たち」杉山二郎 青土社
「サンカの起源 ククツの発生から朝鮮半島へ」筒井功 河出書房新社
「忍者のすべて」 歴史読本臨時増刊 新人物往来社
「呪術」別冊歴史読本 新人物往来社

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畠山重忠287(作:菊池道人)<最終回>

 さて、その後の話にもう少しだけ触れて、この物語を結びたいと思う。
 先ず秀子であるが、一時は出世欲に目がくらみ、若い命を奪おうとしたことを懺悔して落飾、さる尼寺に入った。
 識之助は郷里の伊賀服部にて、忍びの術をさらに極めた上で後進を導いていった。伊賀の人々は識之助の技も含め、日本固有、外来を問わずあらゆる技術を集大成して、伊賀流忍術を創り上げた。
 室町時代から戦国期にかけて数多くの伊賀流忍者が大名たちの情報収集、諜報活動などに暗躍したが、徳川家康を助けたことで知られる服部半蔵は識之助が少年時代に仕えていた服部家長の子孫であると伝えられている。
 
 そして、左近のことである。
 重忠の戦没と平賀朝雅事件の数年後、武蔵国荏原郷に社を創り、義時から拝領した重忠の守本尊であった仏像を祀った。
 周囲の村人たちに素性を聞かれれば、重忠ゆかりの者とだけ話し、それ以上は具体的なことに触れなかった。 人々は、おそらくは畠山家郎党であったのであろう、と左近について噂していた。
 件の社は現在は東京都目黒区碑文谷にある碑文谷八幡宮である。
 神社の由緒には、畠山重忠の家臣、宮野左近という者がこの地に創建したと伝わっている。
 
非情なる時の流れにも触れなければならない。
 重忠とともに鎌倉政権創業の功臣であった和田義盛も北条氏に粛清された。
 三代将軍実朝は鶴岡八幡宮にて頼家の遺児すなわち甥の公暁に暗殺された。その公暁も三浦義村に討たれた。
 朝廷への政権奪還を目指して兵を挙げるも鎌倉方に敗れた後鳥羽上皇隠岐に流された承久の乱の少し後のことであるが、左近は重忠最期の地、鶴ヶ峰を訪れた。
 すでに十六年の歳月が流れ、もはやあの日のことは忘れられたかのように静かな川の畔。
 真っすぐに伸びた竹が生えていた。このまま天まで届いても、真っすぐなままであるかのようだ。
「まるであの男のようだ」
左近は一人呟いた。そして、意を決した。
(この近くを終の棲家としよう)
すでに齢六十半ばを過ぎた左近はさすがに足の衰えを痛感し、旅に生きることはもう無理だと悟っていた。
 やがて、重忠最期の地に程近い丘に庵を結んだ左近は、仁和寺で静遍からもらった母親ゆかりの琵琶を弾きながら、近隣の村人たちに物語を聞かせてやった。
 老若男女を問わずに好評を博し、生活の糧となる米や野菜などを恵んでくれる人もいたが、この時期から世間に流行りだした琵琶法師による「平曲」もしくは「平家物語」と呼ばれる話が、栄華を誇った平家がやがて滅亡するまでを描いていたのとはいささか異なった話をしていた。
 左近のお決まりは、伊勢三郎の悪党話に義経が平泉から蝦夷ヶ島さらには粛真(ロシア極東)へ渡った話、そして畠山重忠のことである。
 ある人が左近の話を聞き取り、それも参考にして書物にしたという。
 題して「畠山物語」。
 現在、この書の存在を指摘する史家はいるが、現物が確認されたという話を筆者は知らないので、もしご存知の方がいらっしゃればご教示頂きたい。
また、その聞き取りが行われた庵のある場所の地名は現在では横浜市旭区左近山となっているが、件の語り部との関連を示唆するような伝承の類も聞いたことがないので、取りあえずは単なる偶然ということにしておこう。
ただ、左近が、重忠のようだ、と呟いたその竹は今も残っている。
 重忠がその最期に矢を立て、「我が心正しければ、この矢に枝葉を生じ繁茂せよ」と言い残したという話も伝わっている。
風にそよぎながらも、その竹は心ある人々に伝え続けている。
 畠山重忠の心を:。(完)

作:菊池道人 http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/3.htm

本作はオリーブニュース http://www.olivenews.net/v3/ にも掲載しております。

本作を初めてご覧になられる方はこちらをhttp://historynovel.hatenablog.com/archive/2014

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畠山重忠286(作:菊池道人)

 御所内の一室で後鳥羽上皇と朝雅は碁を打っている。
 時政の実朝暗殺の謀が失敗してしまったので、それへの対応についての話し合いを兼ねてであった。
「舅は重忠にしてやられました。我が身を投げ出して無実の証をたてた重忠に心を寄せる者が多く、それゆえに焦って、あのようなことを:」
そこへ、
「朝雅どのへ火急の報せにございます」
という声。一礼してから立ち上がった朝雅は門へと向かう。
 門前には屋敷で召し使っている小舎人童が:。
「何事か」
「鎌倉より誅罰の特使が馳せ上って来た由にございます」
「わかった」
朝雅は驚きの色は見せずに部屋に戻ると、上皇にその旨を告げ、
「この朝雅、院を煩わせ奉る訳には参りませぬので、御暇乞いを願い申し上げます」
 上皇は、
「そなたを将軍としたかったのに残念じゃ」
朝雅がもはや逃れようもないことを察した上皇はこの時、我が意に叶う者を将軍とすることが出来ぬというのであれば、いずれは鎌倉に兵を向けることを決意した。
 朝雅は碁石に一瞥を加えると、上皇に深々と頭を下げて退出した。
 
 朝雅が戻ってから程なく、六角東洞院の屋敷前に、在京御家人の五条有範、後藤基清、安達親長らに山内経俊の子である持寿丸の軍勢が集結した。
「不忠者の平賀朝雅を成敗致す」
有範の号令で兵たちは襲いかかってきた。
 その中に真正の姿があった。山内持寿丸に従ってである
「旧主の仇、朝雅をこの真正が」
 重忠の死の背後には朝雅がいるということを聞いていたので、沼田御厨の件への償いを果たすのはこの時ぞ、と張り切っていた。
 朝雅もその従者たちも懸命に防戦したが、多勢に無勢である。
 やがて一人となった朝雅は屋敷を抜け出し、徒歩で逃走した。追手の兵たちは我先にと後を追う。朝雅は辻々を曲がって身を隠しながら、洛外へ抜け、松坂(京都市山科区内)までたどり着いたが、藪の中に潜んでいるところを付近を探索していた真正に見つかってしまった。
「賊がいましたぞ」
 真正の声と同時に東へと走り出すが、背中に矢が突き刺さった。持寿丸が放った矢である。朝雅はどたりと倒れた。
 時に閏七月二十六日のことであった。

 平賀朝雅が討ち取られたという報告を受けた義時は自邸に左近を呼び寄せた。
「もう一人、おったようだが」
識之助のことである。
「実は丹波の母親が病に臥せっているとかで、早々に帰りました。この左近に免じて無礼の段はお許しを」
 識之助が平家残党であることから、左近は方便を使った。
「そうか。ならばよろしう伝えてくれ」
その後で義時は、
「実はそなたの手柄を賞して地頭に取り立てようと思うのだが、如何であろうか」
左近は、
「有難きお言葉、恐悦至極に存じますが、それがしは傀儡子でございます。世間を漂う身ゆえ、土地を守るお役目は性に合いませぬ」
 義時はやや困惑したような表情になる。
「その代わりをおねだり申し上げるのは憚りがございますが、畠山重忠どのの遺品などもしございましたら、拝領が叶わぬかと」
「それは何故にか」
「重忠どのとはご幼少の折から親しくしておりました。しばらくご無沙汰となっておりましたところへあのようなことになったとの由承り、無念の極みに存じます。せめて、その形見などを:」
「わかった。望み通りに致そう」
左近が拝領したのは、重忠の兜に着いていた守本尊の小さな仏像であった。(続く)

作:菊池道人 http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/3.htm

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畠山重忠285(作:菊池道人)

(あなたが好きだった)
 識之助の言葉で秀子は悪夢から覚めた。
 蝋燭に点いた火にふうと息を吹きかけて消すと、燭台を下に捨てた。
 識之助は秀子が今まで燭台を持っていた手をさっと握りしめると、目で語りかける。
「これから逃げるのだ」
が、そこへ現れたのは牧とその兄の時親である。
 識之助の後ろへ逃れる秀子。識之助も半身に構えた。
「秀子、おまえは裏切るつもりか」
牧が声を上げたその時である。
「時親どの、いつぞやは無礼を致し申した」
双方の間に左近が現れた。
「突然で恐縮でごさるが、妹に会いに来たのでござる」
秀子は驚いた表情だが、声は出ない。時親から腹違いの兄についての話は聞いたが、まさか、このような日に会うとは:。
 そして、さらに秀子が驚いたのは、以前に義仲の兵に襲われたところを助けた男が兄であったことである。
「妹が大変お世話になっておりますこと、厚く御礼申し上げる次第でござる」
左近は今、ここで起きようとした出来事など全く素知らぬ振りで、牧と時親に頭を下げる。礼を言われた二人は呆気にとられている。
 そこへ、
「さあ、お上がりください」
湯殿の中から聞こえたのは義時の声。実朝を迎えに来たのであった。

 実朝を救出した義時は、政子から受け取った書状を時政の前に出した。左近がもたらしたものである。
 書状を広げた時政の手がわなわなと震えだした。
「知らぬぞ。婿殿はどのように思っているか知らぬが、わしはひたすらに実朝公を:」
しらばくれようとする父を義時はそれ以上は追及せずに、
「父上の忠節の念は信じて疑いませぬ」
そこへ馬の嘶く声と大勢の人々の足音。
 時政がすっくと立ちあがる。
 表へ出ると、甲冑に身を固めた兵たちがずらりと立ち並んでいる。
 長沼宗政、結城朝光、それに重忠が無実であることが知れ渡って以来、時政の形勢不利とみて、機敏に節操を変えた三浦義村の軍勢である。
 皆、無言のままに時政を睨んでいる。
 時政も威厳を取り繕うかのように兵たちを睨み返すが、その顔は蒼白で、口元もぴくぴくとしている。
そこへ義時も出て来て、
「父上、ご安心くだされ。この者たちは実朝公をお迎え申し上げるために参上したまでです。実朝公さえお返し頂ければ、速やかに引き上げるはずです」
優し気な我が子の声は時政の狼狽に拍車をかけていた。
奥の方からは、女性の泣き叫ぶ声。牧の方が悔し涙にくれている。
この日、元久二年(1205) 閏七月十九日の夜遅く、北条時政は出家し、翌日、妻の牧ともども伊豆へ向かった。
政界から完全に引退したのである。それから程なく、大岡時親も出家した。
 代わって義時が執権として政権を担うようになる。
 時政が亡くなったのはそれから十年後であった。(続く)

作:菊池道人 http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/3.htm

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畠山重忠284(作:菊池道人)

 やがて日は西に傾いていく。それでも姿を見せない左近に識之助は焦りを感じ始めていた。
 日が落ちる頃には、実朝が入る湯殿に火がつけられる。かつての思い人が極悪を為す時が訪れるのだ。
 いたたまれなくなった識之助は南の方角すなわち名越邸に向かって足を踏み出した。
 と、その時である。
 琵琶を担いだ男がこちらに向かって来る。
「師匠」
識之助は駆け寄った。
「遅くなった。申し訳ない」
識之助はいきなり、食いつくように左近の耳に口を寄せて、名越邸での話を伝えた。
「わかった。おぬしは兎に角、あってはならぬ事が起こらぬようにするのだ」
左近が言うなり、識之助は走り出す。
それを見届けた左近は、速足に大倉館に向かった。

 薄紅のかかった白い巻貝が功を奏した。
 それが幽閉された後白河法皇から平家追討の院宣をもたらす手助けを為した褒美に頼朝から拝領したものであることを門番の武士に伝えた時には、さすがに不審そうな顔をされた。おそらくは、その当時を知らなさそうな若い武士は渋々とした表情で取り次いだが、どうやら政子がそれを夫との思い出の品であることを認めたらしく、すんなりと目通りを許されたのである。
「左近にござります」
一礼して広間に入ると、上座の政子は左手に貝を持ち、右手の人差し指で目の縁をそっと抑えている。
 亡き夫のことを思い出し、いささか涙ぐんだようであった。
「いつぞやは身に余るご褒美を賜りながら、頼朝公にはとうとうお目にかからずじまいで、誠に無礼千万、面目ない次第でございます」
が、政子は優し気な声で、
「いいえ。そなたの働きがあってこその頼朝公の偉業、このようなつまらぬ品では却って申し訳ない」
左近は軽く頭を下げた後で、
「実は本日、参上致したのは火急の要件ゆえにでございます。将軍様のお命が危のうございます。時政どのがお命を狙っております。これがその証拠にございます」
すでに用意した書状を政子に差し出した。
 政子が開いてみると、平賀朝雅の署名が先ず目につく。本文も間違いなく朝雅の筆跡である。「逆賊源実朝を誅さんと欲す」の文字を見て、政子はわなわなと震えた。
 広間の出入り口近くに座していた侍に、
「急ぎ、義時を呼びなさい」

 名越邸の湯殿の裏には、薪や藁がびっしりと積まれている。
 中からは音がする。実朝が湯に入る音である。
 蝋燭に点いた火が揺れている。燭台を手にしている秀子の手が震えているからだ。
 今、この薪や藁の山に僅かでも炎の先が触れたならば、たちまちこの湯殿は火に包まれる。
 そして、秀子は地頭になれる。
 平家没落のためにさすらいの身となった日々。あの頃と比べれば、雲泥の差がある人生が待っている。
 誰の目にもつかない今、力も知恵も必要のない、ほんの小さな動作で自分の運命が変わる。
 しかし、その代償は:。
 が、秀子はこの時は、代償の恐ろしさを乗り越える勇気を持とうとしていた。
 その勇気を振り絞り、予定の動作を始めようとしていたその時。
 目の前に人が:。
 驚きの余りに落としそうになった燭台を辛くも支えた。
「小天狗さん」
小さな声が思わずに出た。
「今やろうとしたことをやめてくれ。やらないでくれ」
小天狗こと識之助は今にも泣きだしそうな声である。
「俺はあなたに非道なことはさせたくない」
が、秀子は言葉に窮している。
「俺はあなたが好きだったんだ。だからやめてくれ。思い出を壊さないでくれ」 (続く)


作:菊池道人 http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/3.htm

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畠山重忠283(作:菊池道人)

 すっかりお手の物である。識之助は築地にひらりと上ると、名越邸内に音もたてずに忍び込んだ。
 頃は閏七月十八日の宵。蟋蟀や鈴虫は驚いて鳴き声を止めはしたものの、それ以外は誰にも気づかれることはなかった。
 母屋から灯が漏れる。
 音もなく忍び寄った識之助の視界に男と女が二人ずつ。
 上座には北条時政、牧夫妻。その左脇に大岡時親、そして下座で北条夫妻に相対しているのはかつて識之助が思いを寄せていた秀子である。
 前栽の陰に隠れた識之助は固唾を飲んで耳を澄ます。
「なまじ武者など使えば、義朝どのを討った長田忠致のように名が残り、面倒なことになるからのう」
そう言いながら時政は傍らの時親に目配せをしてみせた。
 時親は声を低め、秀子に向かって、
「そなたがやったなどと信じる者はまずいない。しかも刃ではなく火を使うのじゃ」
「火ですか」
驚いたような秀子である。
 時親は深くうなずいた後で、
「明日、実朝どのはこちらに参られ、宵には湯浴みをされる手筈になっている。そなたは湯殿の裏手に積んである薪に火をかけるのだ。もちろん、不慮の事としておく。事が済めば、直ぐに火を消せるように手配しておく」
一瞬、秀子の顔がひきつる。
 時政は、
「事成った暁にはそなたを地頭に取り立てようと思うのじゃ。ほとぼりが冷めた頃にはなるが:」
この時代、女性が地頭になることは珍しくはない。例えば、結城朝光の母のことで、下野国寒河郡阿志土郷が任地である。
 牧も、
「そなたもこの私ももとは平家の方人。それが世に出るようになるのよ。こんな目出度いことはないでしょ」
庶民の娘が地頭にまで、という話は毒を覆う蜜のような味がする。
「今まであなたは使われの身。私も随分、あなたに辛く当たったりもしたけど、今度はあなたが人を使う身となれるのよ」
牧が言葉を継ぐ度に、蜜の甘さは増し、その下に隠された毒の恐ろしさが薄れていった。
 秀子はついに震える声ながらも、
「承知つかまつりました。仰せの通りに致します」
深々と頭を下げた。
 前栽の陰の識之助は戦慄を懸命にこらえていた。
 一度は惚れた女が恐るべき罪業を犯そうとしているのだ。しかし、今は見つからぬようにこの場を去らなければならない。
 四人が部屋を去るのを待って、足を忍ばせながら、築地を乗り越え外に出た。
 左近は識之助に二日程遅れて、鎌倉に着くことになっている。
 予定の日の昼頃、鶴岡八幡宮の鳥居前で待ち合わせである。
 順調ならばこの翌日のことだ。
 実朝暗殺はその宵に実行されることになっている。
 それを食い止めるための時は限られていた。
 翌日、日輪が真上に来る頃になっても、鳥居前には左近が来ない。
 彼が来るであろう方角とは反対側から、従者が曳く馬に跨った実朝が来た。
 まだあどけなさの残るその顔には心なしか不安げな色も感じられていた。(続く)

作:菊池道人 http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/3.htm

本作はオリーブニュース http://www.olivenews.net/v3/ にも掲載しております。

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