畠山重忠254(作:菊池道人)

第二十五章 因縁の糸

 後鳥羽上皇はいたく機嫌がよい。
 伊勢での平家残党の反乱、世にいう「三日平氏の乱」を鎮圧した功により伊勢、伊賀両国の国地頭とし、それに加えて北面の武士さらには院殿上人にまで昇進させた平賀朝雅を側に呼んでである。
朝雅は鎌倉の御家人と院の側近とを兼ねることになったのであった。
平素から武芸を好むなど闘争的なことが好きな上皇は実戦で武功をたてた朝雅をすっかり気に入っている。
笠懸の指南役まで依頼するくらいである。
「真、そなたこそが神器の一つであるのう」
平家追討の際に、海に沈んだ宝剣の代わりに自らがなるとまで口にした朝雅。
 不遜といえばそうなのであるが、この人物からはなぜか嫌みが感じられない。その点に関しては得な性分なのであるが、言葉を現実のものとすれば、ひたすらに頼もしくなる。
「朕の祖父であらせられる後白河院は平家や木曾義仲の横暴に悩まされてきた。それに引き替え、朕は真に幸せなものよ」
「お言葉痛み入り奉ります」
朝雅は恐縮するばかりであるが、上皇は、
「これからも朕の守り刀であれよ」
まるで甘える子供のようであった。
「ところで、その方は新羅三郎の後胤であったな」
新羅三郎こと源義光後三年の役で、都での官職を辞してまで奥州に赴き、兄の義家を助けた。
 鎌倉の将軍実朝は義家の子孫である。
清和源氏か。家格には不足はないのう」
しげしげと朝雅の顔を見つめる上皇である。
 一体、何を思っているのか。
「いや、家格もさることながら、官職というものはやはりそれに相応しい働きをする者でなければならぬとは思うが」
やや戸惑ったような表情の朝雅に、
「そなたは伊勢の逆賊どもを鎮圧致した。つまりは夷にも該当する者どもを成敗致したのだ」
上皇の顔つきはかなり真剣である。
「どうであろう。征夷大将軍となるのは」
思いも寄らぬ上皇の言葉である。
これにはさすがに朝雅も、
「恐れながら、鎌倉には実朝どのが:」
すると、上皇は途端に顔を崩して、
「戯れじゃよ。聞き流してもよいぞ。かはははは」
しかし、朝雅は笑えない。
 上皇の笑い方がわざとらしくも思える。
 戯れとばかりには思えない雰囲気をこの時に感じていた。
「無論、そなたは鎌倉に仕える身であることを忘れてはなるまいぞ」
上皇は身を乗り出し、朝雅の肩を叩いた。
「どうじゃ、碁でも打つか」
必要以上に親しげな態度が安らかならぬものを醸し出していた。 (続く)

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畠山重忠253(作:菊池道人)

山内経俊は追討軍に加わったものの、当初の不手際で結果的に反乱の規模を大きくしてしまった。
 それゆえに、国地頭を解任されることは避けられない。
 浮かぬ思いのままに自邸に引きこもっていた。
(どうしていつもこうなのか)
頼朝挙兵を前にして、助力を要請に参上した安達盛長に暴言を吐いたことがけちのつけはじめであったが、それでも頼朝の乳兄弟ということで、大目にみてもらっていた。
 しかし、今度ばかりはもう寛恕頂くこともないであろう。
 頼朝もすでにこの世にはいない。
 (全ては己の不徳の致すところか)
居間に胡坐をかいて、 ふてくされた心持ちになっていると、不意に、
「一言、お耳に入れたきことがございます」
いつの間にか、居間に見慣れぬ人が来ている。
 識之助である。
「何奴じゃ」
経俊は咄嗟に太刀を手にするが、識之助は涼しい顔で、
「名乗る程の者ではございませんが、先に謀反を起こした平家側の者にござます。山内どのが捕らえられました員部の行綱どのはそれがしどもとは一切関わりはございませぬ。その事だけを申し上げに参りました」
識之助は一礼するや、すっと立ち上がり、背中を向けると、部屋を出ていく。
「誰かあらん」
経俊は大声を出す。
 そこへたまたま真正がやって来た。
「今、出ていった者を捕まえろ」
「はっ」
真正は素早く廊下へ出ると、識之助が庭へ出たのを見つけた。ちらりと目にした横顔に見覚えがある。
「そこの者、待たぬか」
が、その声には反応せずに識之助は塀に近づくや、ひらりと跳躍した。
 真正が驚いてる間に、空中で一回転し、塀の外へと消えた。
 真正は識之助の恐ろしいまでの早業を見せつけられるばかりであった。

「今の者が行綱が見逃した伊勢三郎の残党です」
真正は経俊に報告する。
「そうであったか:」
経俊は苦虫をつぶしたような表情をしてみせるも、
「しかし、それでも行綱の恩を忘れずに、此度の平家残党とは関わりがないことを一身を顧みずに報せに来るとは、不逞の輩とはいえ、見どころがあるではないか。わしも頼朝公に無礼の段をお許し頂いた身。あの者の心意気に免じてやるのも亡き頼朝公への恩返しぞ。それに、わしはいずれにしても、お役御免は免れぬ。この期に及んでつまらぬ忠義立ては無用の事だ」
  
 囚われの身となっていた行綱は平家残党の謀反とは無関係であったということで釈放された。
山内経俊は伊勢の国地頭の任を解かれ、代わりに平賀朝雅がその任に就くことになる。
(続く)

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畠山重忠252(作:菊池道人)

 朝雅率いる追討軍が伊勢国に入ってから十日が過ぎたが、軍議を開いたものの、それより先に進撃する様子はなかなか見せない。
 反乱軍の前線基地ともいうべき富田の城郭では、その主たる富田基度が斥候を努める識之助から追討軍の様子を聞いていた。
「日が経つにつれ、いささか気が緩んだのか、そこかしこで、笑いあう兵たちもおります」
敵に見つからぬように忍び込む術には心得がある、と基度に仕えている旧友の国丸を通して、自ら、斥候の役を買って出たのであった。
 かつてこの伊勢で盗人など働いていた左近から学んだ術を活かすのはこの時こそと張り切っていたのである。 警戒する者たちは、無事に時が過ぎると、気も次第に緩んでくるので、そこが狙い所とも聞いていた。
識之助は朝雅の軍勢の様子を観察しているうちに、そこにつけ込む術というものも頭に浮かんできていた。
 それを実行した時の成果というものが想像され、居ても立ってもいられなくなる。
もし実現出来れば、自身は大手柄をたてることができる。
 胸の高鳴りを抑えきれずに、
「恐れながら:」
やや上目遣いの識之助は、床机に腰を下ろしている基度に、
「この識之助、敵陣に忍び入り、火を放ちます。敵が騒ぎ出しましたら、速やかに奇襲をおかけください」
敵陣の様子を見ながら、思いついた作戦を言上したのである。
 が、基度は呆れたような表情で、
「いつ出撃するか否か、そなたごときが案じることではない。敵の様子さえ見ていてくれれば良い」
それだけ言うと、ぷいと立ち上がり、去っていった。
 鼻から相手にしてもらえなかった。
 もともとが低い身分である上に、俄に軍勢に加えてもらったゆえなのであろう。
 が、識之助は長年、鍛えて身につけた己の技術を認めてもらえない悔しさは如何ともし難かった。

 四月十日、俄に追討軍は、富田城に攻撃を仕掛けた。
追討軍が伊勢に入ってから十数日過ぎると、守る側にも気の緩みが生じてきたが、そこを突いたのであった。
 基度やその弟の盛光は、
「いつぞやの無念を晴らすは今日、この時ぞ」
と大声で味方を鼓舞しながら、太刀を振るう。
 いつぞやの無念とは、元暦元年、同じく伊勢で平信兼らが反乱を起こし、義経に討たれた時のこと。基度らの父、家資も討ち死にを遂げている。
 が、それ以上に、壇ノ浦の戦いでの壊滅的な敗北も忘れられない。
 その怨念を今この時にこそと、識之助も懸命に太刀を振るう。
「先ずは平賀朝雅とやらを血祭だ」
 旧友国丸は返り血だらけの顔で識之助の前に進み出たが、その直後、胸に矢が突き刺さり、どたりと前に倒れた。
 が、倒れた友を介抱する暇もなく、敵が数名なだれ込んで来た。
 識之助は必死の形相で斬り結んだ。

 富田城は数時間のうちに、攻め落とされた。
 安濃、若菜、日永、若松と平家残党の要塞は至る所にあり、一時は総勢一千人にも及んだが、朝雅軍の破竹の進撃にこれらの要塞はことごとく攻め落とされた。
反乱軍の総帥たる若菜五郎も戦死、隣国の伊賀国に立ち上がった者たちもほとんど戦わずに霧散した。
僅か三日間のうちに、平家残党の反乱は壊滅状態となったので、これを「三日平氏の乱」という。 (続く)

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畠山重忠251(作:菊池道人)

 

 脂ぎった帝王である。
 この年、数え二十五歳の後鳥羽上皇は祖父である後白河法皇の野心を受け継いでいるかのようである。
 帝位はすでに土御門天皇に譲ってるが、政治への意欲はむしろこれから盛んになっていくようである。加えて、相撲、狩猟などの武芸を好んでいる。
 この物語より少し後のことであろうが、交野三郎という盗賊を捕らえるにあたり、自ら舟の櫂を手にして武士たちを指揮する程の怪力を示している。それに恐れをなした賊は降伏し、中間に取り立てられた、という話が「古今著聞集」にある。
 歌人としても後世に名を残しているが、歴代の天皇の中でも、武への関心は突出しているといってよいだろう。
これが災いとなるのはずっと後の話ではあるが、この時期は、ひたすらに伊勢で起こった平家残党の反乱に心を砕いていた。
 三月二十一日、院の御所では公卿列座のもと、伊勢での謀反への対策が評定された。
 鎌倉から京都守護として派遣されていた平賀朝雅も呼ばれている。
「朝雅とやら」
「はっ」」
やや緊張した面持ちの朝雅に上皇は、
「その方、伊賀国を知行するように」
伊勢での反乱が拡大する伊賀国での知行すなわち国司の任免権を与えることで、朝雅が追討軍の指揮をしやすいようにするのである。
「有り難きお言葉、恐悦至極に存じ奉ります」
朝雅は深々と頭を下げた。
「かくなる上は、一刻も早く謀反人どもを成敗致すべく、身命を賭す所存にござります。畿内を騒擾させ申し上げる不届き者どもは、この朝雅がおります限りは一人も残すつもりはございませぬ。院におかれましては、お心を強く持たれますよう」
必要以上に声に力を込める朝雅に上皇は、
「朕は剣のないまま皇位に就いたのであるが」
三種の神器のうち、宝剣は壇ノ浦に沈んだままである。剣のないままに即位したことが、上皇の心に陰を落としている。
「しかし、剣はなくとも、逆賊どもを成敗致せば、皇祖もさぞやお喜び遊ばされるかと思うておる」
上皇は心底、朝雅に好意を抱いているようである。
「お言葉痛み入り奉ります。この朝雅、この身こそが院を守護奉る剣と、粉骨砕身致す所存でございます」
大げさな物言いで、周囲の他者の気持ちを高ぶらせるのは、朝雅の得意とするところである。
上皇は目を大きくし、
「よう申してくれた。その方のような者こそが朕の宝ぞ」
 いささか興奮したかのような表情の上皇を見上げながら朝雅は、伊勢での反乱鎮圧こそが自身の飛躍の好機と胸を高鳴らせていた。
 
 翌日、朝雅は二百人ばかりを率いて出陣した。
 しかし、伊勢に入るにも、すでに鈴鹿峠は反乱軍に抑えられており、朝雅率いる追討軍はやむなく美濃国を回らなければならなかった。
追討軍は二十七日にようやく美濃に入った。
 早速、軍議が開かれ、先ずは平基度らが立て籠もる富田(三重県四日市市内)を攻める手筈が整えられた。 (続く)

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畠山重忠の今後の発表方法について

平素は大変お世話になっております。さて、拙作「畠山重忠」、続きの発表が大変遅れておりますこと、心からお詫び申し上げます。

これまでは当ブログでは、掲載先のオリーブニュースのリンクとあらすじを掲載しておりましたが、251回から本文も掲載いたします。

オリーブニュースへの投稿は今後も継続しますが、同誌編集部の都合等により、歴史小説パークと発表時期が異なる場合がございますので、お含みおきください。

どうか今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

菊池道人