畠山重忠272(作:菊池道人)

 六月二十一日になって、時政は義時とその弟である時房を名越邸に呼び寄せ、初めて重忠に謀反の疑いがあることを告げた。
 稲毛重成からの報告によるということも強調した。
「これまで誠を尽くして励んで来た者が何ゆえに謀反を起こすとお考えですか」
納得しかねている義時に時政は、
「このわしが武蔵の者たちを掌握しようとしているのが不満らしい。しかし、わしは鎌倉殿のためにしたことじゃ。それに逆らうというのであれば、過去に武勲があるといえども、許すわけにはいかぬ」
時房も、
「以前にも同様のことがあり、本人に問い糺したところ、無実であったというではないですか。此度も先ずは十分に吟味すべきかと」
 義時はさらに、
「稲毛はどのようなことを根拠に申しているのでしょうか。確かな証拠がない限りは、この義時、追討には同意致しかねます」
義時も時房も、背後では牧の方が仕組んでいるとみている。
「義母上の差し金ではないですか。我儘な選り好みで理を曲げ、政を左右するなど:」
時房が吐き捨てるような調子で言うと、時政は顔をひきつらせながら、無言のままに席を立った。
義時も時房も無言のまま、名越邸を辞去した。

その日の昼過ぎ、義時邸に京から戻ったばかりの大岡時親が訪ねて来た。
「長い間のご滞在、大儀でござった」
義時は先ずは労をねぎらう。
時親はにこやかな表情で、
「妹はきつい気性で、義時どのにも色々と苦労をおかけしていますが」
牧の兄としての低姿勢な態度をとられると、義時も平素の憤懣をぶつけることができない。
時親はひと呼吸置いて、急に真剣な表情をしてみせる。
「ところで、上皇様が武事にひとかたならぬご関心をお寄せであらせられることは貴殿も聞いておられよう」
「いかにも」
「実は近々、北面に加え、西面にも武者たちを集めようとなさっているということなのだが」
時親はわざとゆったりとした口調である。
「いや、これはあくまでも仮にであるが、もしも院が東の方へ兵を向けられるということにでもなった場合、鎌倉を面白く思わぬ者がいればどうなるか」
義時は無言でうなずく。
「例えば、武蔵に於いて、院に靡く者がいるとすれば、この鎌倉はどのようになるであろうか」
「時親どの、武蔵には院と密かに通じている者がいるとでも言われるのか」
「いや、飽くまでも仮の話です。しかし、この時親が上皇様のお立場で、もし鎌倉に兵を向けるとなれば、東国にいる者で鎌倉に不満を持つ者たちを調略するであろう。これは戦の定石ですぞ。武蔵には元来、平家に従う者が多かったではござらぬか」
時親は上皇の脅威を大袈裟に言い立てているが、それは全くあり得ぬことではない、と義時は思った。現に、これよりも十数年後には現実となるのだが:。
「今のうちに、謀反は武士の誉れなどと言う獅子身中の虫を除いておいた方がよろしかろうとそれがしは思うが:。まあ、それがしが牧の兄としてその肩を持つとお考えであるならば無理にとは申さぬが」
時親はそう言い置くと、これから用事があると、退出していった。
 義時は継母への憎しみは度外視して、今後の戦略について思いを巡らした。
 万が一にも、上皇が鎌倉に兵を向けた時に備え、武蔵を意のままに出来るようにしておくのは、理に叶っていると思えてきた。重鎮といわれる存在は、時には、その重さが邪魔になることもあり得る。
 重忠とのこれまでの交誼と秤にかけ、ついに父の意向に沿う決意をした。
 鎌倉を守るためと自身に言い聞かせながら:。
内心では上皇を利用しようとしている時親は、逆にその脅威を吹き込んで、義時を言いくるめることに成功した。 (続く)

作:菊池道人 http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/3.htm

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畠山重忠271(作:菊池道人)

 重忠に謀反の気配あるゆえ、備えあるべしとの触れは時政から密やかに御家人たちに伝えられていった。
 結城朝光や下河辺行平のように謀反の噂に懐疑的な者たちばかりではない。
 むしろ、重忠は北条に反感を持っているので、そうしたことも無きにしも非ず、と受け止めている者も少なくはなかった。
江戸、葛西、河越など重忠と同じ秩父一族の者たちにも触れは届いたが、重忠に注進する者はいなかった。
 北条が実権を握る鎌倉政権の意向に従うことが生き残りのための基本的な手段であるとの認識が定着しつつあり、まして、武蔵の豪族たちは時政に対して二心を抱かぬという誓いを立てたからには、敢えて重忠に味方しようと考える者はほとんどいない。
 勇猛を謳われる坂東武者といえども、長いものに巻かれざるを得ないということに関しては決して例外ではなかった。
 世間の枠組みに組み込まれてしまえば、そこから一人もしくは少人数で抜け出してまで、異議申し立てすることは容易ではない。
 それが人の世の悲しさなのである。
 情報面でも孤立した畠山家関係者。房子と柏原太郎ら十数名の郎党たちが留守を預かる鎌倉屋敷にも、着々と包囲網に取り囲まれていることが知らされない。
 ただ、他家の郎党たちが近頃よそよそしい態度をとっていると感じている者が数名いるくらいである。
 
 まして、菅谷館では夢にも知らぬことである。
 四月の初旬に菅谷に戻った重忠は、鎌倉に騒擾ありとの噂を耳に入れるも、すぐにそれが稲毛重成の不意の訪問が誤解されたことだとわかり、そのままとどまっていた。
 その後は、領内での水利を巡る争いの調停に忙殺されていた。
収拾の目途が立ったのは六月に入ってからである。
(そろそろ鎌倉に行かねば)
そう思っていた矢先、重保に重成からの書状が届いた。
 重忠自身がそりが合わないため、音信も途絶えがちな重成から重保へとは意外な感じがしたが、その内容は、近々、時政の名代として上洛するので、都のことなど教えて欲しいというのである。
 すでに二度、上洛している時政から直接、指導を受ければ良いはずなので、わざわざ重保を呼ぶこともないのにと不可思議な気もしたが、やはり同族の誼は大切にしなければならないか、と思い直した。
「重忠も数日のうちに来ると伝えてくれ」
そう言づけて、重保を送り出した。
 
 六月十九日、重忠は息子の重秀に成清、近常らを伴い、菅谷館を出立する。
 厩から月虎という四歳の栗毛を引き出していると、隣にいた三日月がしきりに喘ぐような鼻息を:。鋭く息を吸い込んでいる。不安がっている様子である。
「戦ではないぞ。安心致せ」
重忠が鼻面をなでてやると、鼻息はいったんは収まったが、いつになく瞳は悲しそうである。
後ろ髪をひかれる思いであったが、重忠は三日月に背を向け、月虎を引いて、表門へと歩んだ。
「よし、行くぞ」
待機していた重秀らに声をかけると、重忠はひらりと月虎に飛び乗る。
外へと歩みを進めた時、後方から甲高い嘶き。
 三日月の声である。
 重忠は胸騒ぎを禁じ得なかった。

 重忠が出発した後も、三日月は鼻息と嘶きを繰り返していたが、夜中、舎人たちが寝ている隙に、老馬とは思えぬくらいの勢いで厩を飛び出すと、重忠が向かったのと同じ方向に走り出した。(続く)

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畠山重忠270(作:菊池道人)

 いつしか梅雨が明けたかのような濃い青空を海原が映している。
 下河辺行平と結城朝光が稲村ケ崎の浜辺で馬を走らせていた。
「少し休ませるか」
行平が言って、二人は馬の脚を止めさせた。
「それにしても、武蔵での話は:」
馬から降りながら、朝光が呟く。重忠に謀反の噂があることである。確かな情報はまだ把握していないが、それだけに不安の方が先行していた。
「我々下総の人間には武蔵のことはよくわからぬし、時政どのが児玉党を意のままにしていることを根に持っているとも言われているが、重忠どのは我を張り通す男ではない」
幼少の頃から知っている行平の率直な感想である。以前にも同様なことがあった際には、行平、朝光ともに重忠を弁護しているだけに、にわかには信じられぬことである。
 朝光は、
「唯一心当たりがあるとすれば、先般、将軍家ご内室をお迎えする折、都にて平賀どのと重保どのが言い合いになったことだ。それがしもその場に居合わせたが、重保どのは将軍家を侮辱されたことをいたく憤っていた。重忠どのも頼朝公より、将軍家をお護り申し上げるよう遺言されているからには:」
こう言ってから朝光は声を潜めた。周囲に人はいないが:。
「近頃の北条どのは頼家どのばかりか実朝公をもないがしろにしているような感もなきにしもあらずだな」
行平は、
「藤原摂関家はかつては伴大納言(伴善男)どのや菅右大臣(菅原道真)どのを次々と粛清していった。藤家は帝、北条どのは鎌倉殿の外戚
応天門の変や道真左遷など行平は藤原氏による他氏排斥の例を挙げながら、今後を予想していた。それは抗い難い流れでもあった。
行平は一度、唇を噛みしめてから、
「政というものは兎角、力と欲によって動きがちなもの」
「あの折のようにまた重忠どのの疑いが晴れれば良いが」
朝光は祈るような口調である。重忠とは、偶然ではあるが、ここまではお互いの謀反疑惑を弁護しあった相互扶助的な間柄となっている。
行平は腕組みをしながら、天を見上げ、
「あれは頼朝公がまだいらっしゃた頃のことであったな」
頼朝がいたからこそ、重忠への疑惑が解消された、と行平は言いたげである。今でも友の無実が証明されることを願う気持ちに変わりはないが、政治的な力関係の変化という現実から目をそむけることはできない。
 頼朝を崇拝するあまり、「二君に仕えず」発言で難を被った朝光も、真に頼れる人がいないことを再認識せざるを得なかった。
 この二人が抱いたような疑念や違和感というものは、時に大きな流れに押し流されて、見過ごされてしまうということはありがちなことなのである。
 
同じ頃、名越の北条邸では時政、義村、重成による謀議が着々と進行していた。
「弟の重清は信濃、重宗は陸奥に赴き、手薄になっている。まずは重保を誘い出す方がよろしかろうと」
重成の頭はこれまでにないくらいに冴えている。重忠らを葬り去れば、自分が秩父一族の惣領に取り立てられるとの野心によるものである。
「しからば、重忠謀反は重成どのの知らせによるものとしよう。牧からの話では、義時の奴が納得しないであろうからな」
継母との不和や重忠との親交を考え、義時にはまだ策謀を漏らしてはいなかった。
(続く)

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畠山重忠269(作:菊池道人)

 夕方になって、時政が状況確認のために大倉館に遣わした郎党が戻って来た。
 長い間蟄居していた稲毛重成が従者を連れて鎌倉に来たので、これは余程の事態が起こったのであろうと、人々が噂したため、とるものもとりあえず、武士たちが集まったのであると言う。
 鎌倉屋敷で御家人たちの留守を預かる郎党たちの中には、早々と国元の主に報せた者もいるので、しばらくは騒ぎは続くであろうが、それもいずれ真相がわかれば収まりそうだということであった。
「これはとんだ事をしてしまいましたな」
重成は済まなさそうな表情をしてみせる。
「いや、そもそもこのわしが招いたのだ」
 時政は苦笑いを浮かべる。
義村はしばらく考え込んでいるような表情をした後で、
「しかし、噂というものは恐ろしいものですな。ないはずの謀反がさも起こるかのように:。これを利用しないという手はございますまい」
すると、時政は目をぎょろりとさせて、
「そうか。噂というものを作り出してしまえば良い。後は噂が噂でなくなるように致せば:」
重成も、
「さすれば、できるだけ口の軽い者を使い:」
謀議は弾むように進展していった。

 小天狗こと識之助が姿を見せなくなって以来、秀子が贔屓にしている中年の水売りがいる。
とはいっても、識之助に対するような男性としての関心はない。それでも、武蔵国江戸の出身で、国元には年老いた母親がいるということは聞いていた。
その水売りが例によって名越近くまで来た時、秀子はそっとささやく。
「武蔵で謀反が起こるそうだよ」
「そうですか」
やや狼狽したような表情になる。
「念のため、国元の母上にも知らせた方が」
「はい。ありがとうございます」
今にも故郷に帰りたそうな表情をしながら、天秤から柄杓で桶に水を入れる水売りに秀子は謀反の主が畠山重忠らしいことも付け加えた。
 この水売りの故郷は同じ秩父一族の江戸忠重の本拠地である。
 秀子は虚言を吐く後ろめたさが北条家への忠節心と自身の功名心のために麻痺しかかっていた。 (続く)

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畠山重忠268(作:菊池道人)

 久方ぶりの鎌倉である。亡き妻の供養のために相模川に架けられた橋の落慶の帰りに頼朝が病に倒れ、そのことに対する申し訳なさ、というよりは世間の目を気にして、稲毛重成は本拠地の武蔵国稲毛荘(川崎市北部)に蟄居していた。
 その重成が北条時政に招かれて、不意に鎌倉を訪れた。元久二年(1205)四月十一日のことである。
「初夏の海風というものは心地良いものですな」
名越邸の時政の前で愛想良く笑みを浮かべてみせる重成であるが、何ゆえに招かれたのか、その理由が皆目見当がつかずに内心では不安である。
「この時政も婿の朝雅どのが上洛し、武蔵の留守を預かるようになって、一度、貴殿にも声をかけねばならぬと思うておりましてな」
この言葉は重成を喜ばせた。武蔵の要である従兄の重忠はどうも虫が好かない。生真面目なところがとっつきにくくも感じられていた。それゆえ、重忠の指揮に従っての公務も気が進まなかった。
 ところが、亡き妻の父である時政が武蔵を掌握することで、何か自分にも良いことがあるような気もしてくる。
 そこへ、
「申し上げます。三浦義村どのがお見えになられました」
との郎党の声。
 時政はにこりとして、
「実は重成どのにも引き合わせようと思っていたのじゃ」

重成と義村の縁は平家との富士川合戦に遡る。
 重成の今は亡き父である小山田有重は平家軍にいたが、たとえ父が敵にあれども、頼朝に味方することこそが大義と心得ているのは、三浦一族がその惣領である義明の仇、重忠を許したことと同様である、と重成は啖呵を切った。
「あの折の貴殿の言、痛み入る。改めて礼を申す」
義村は頭を下げた後で、
「あの頃は貴殿が申された通りであった。つまり討つべきか討たざるべきかは大義に叶うか否かで決めるべきものであるが、亡父の仇といえども討たざることが大義に沿うていたのだ。あの頃はだ」
義村はそれが過去に於いてであることを強調している。今は事情が違って来ているのか、と重成は察知した。
「どうであろうかのう。重成どの」
義村は薄っすらと笑みを浮かべながら、
「謀反の風聞あるは武士の誉れなどと言う者をそのままにしておくことが大義といえるのかのう」
義村の目つきが鋭くなったのを感じた重成は思わず時政の方に視線を移す。時政も無言のままだが厳し気な表情である。
富士川の折の貴殿の言が真であるならば、不穏なる言葉を吐く者は例え同族であるといえども、という覚悟は:」
義村はたたみかける。
 重成は富士川の東岸で義村の軍勢から殺気を感じたことを思い出した。平家軍に対してというよりは、義明の仇であるはずの秩父一族に向けているようにも思えた。
 それゆえに、重成は機転を利かせて、義村のもとへ陣中見舞いに参上したのである。
 その時の殺気が今、蘇ろうとしているのだ。あの時の怨念を晴らそうとしているのだ。
 重成は流れを覚ると、それに乗っていくような性格である。同族とはいえ、仲の良くない重忠を討つことにためらいはほとんどなかった。
「この重成も大義に殉ずることは義村どのと同様かと」
そう答えた時である。先程、義村の来訪を知らせた郎党が、
「申し上げます。大倉館に御家人の方々が武具を携えて、集い始めたとの由にございます」
「何っ」
時政がすっくと立ちあがった。 (続く)

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畠山重忠267(作:菊池道人)

 時政は密かに三浦義村を自邸に呼び、二人きりでの会談の席を設けた。
 珍しいことである。
 義村は義時とは世代的にも近いこともあり、酒を酌み交わしながら語り合うことがよくあったが、その父からわざわざ呼ばれるということはあまりなかった。
 一体、どういうつもりなのか、とその意を探り兼ねている義村に時政は、
「こうして貴殿を見ていると、義明どののことを思い出すのう。どこか面影が似ておられる」
頼朝挙兵時にその命を散らした義村の祖父の話を持ち出した。そして、どうやらその話を続けたいようである。「誠に惜しい方であったが、貴殿らもよう耐え難き事を耐え忍んだものよのう」
「いえ、これとても、大義ゆえでござる」
「なる程のう」
時政は深くうなずくと、
「しかし、頼朝公も義澄どのももはやこの世にはいらっしゃらぬ」
時の流れへの感慨なのか、それとも別の意図があってのことなのか。
 しばしの沈黙の後に、
「あの頃とは、いささか事情も異なってきているが」
ほろ酔い加減の目をぎらりとさせながら、時政は身を乗り出してくる。
「貴殿もわしも流人時代からの頼朝公を支えてきた。しかし、そうした者ばかりではない。今は頼朝公もいらっしゃらず、実朝公はまだお若い。それゆえ、災いのもとは摘んで置かねばなるまい」
「災いのもととは?」
「謀反の噂あるは武士の誉れなどと言い放つような者をこの相模と北隣にそのままにしておくのは如何なものかのう」
「畠山どののことでござるか」
驚いた表情の義村に時政は無言でうなずいてみせた。
父義澄にも諭され、義村は私情を捨てた。しかし、幼少の頃から可愛がってもらった祖父を死に至らしめた恨みは消えたわけではない。
 重忠を賞賛する声を聞く度に、怨恨が蘇り、悶えるような怒りを懸命に抑えてきたことも事実であった。
「義村どの。わしは昔の話を蒸し返すのが目的ではないぞ。今、必要なのは御家人たちの結束なのじゃ。いざという時には、相模のみならず武蔵の兵たちも鎌倉殿の手足とせねばならぬのだ。それゆえに武蔵の者たちにはこの時政に対して二心を抱くべからずとの誓いをさせたのじゃ」
時政が言う鎌倉殿のために御家人の結束をとは飽くまでも建前で、本心は北条家の勢力拡大であることは義村自身も策謀家肌であるだけに重々承知している。しかし、時政の野心を利用すれば積年の恨みを晴らすことも可能なのである。
「なるべく速やかなるがよろしいかと」
義村も次第に乗って来た。
「まあ、そう焦ることもないが、この話は時期が来るまでは義時には知らせぬ方が良い」
義村も義時が重忠と親しいことを知っているので、
「承知しました」
その返事のきっぱりとした感じに時政は手応えを感じた。

辞去しようとする義村とともに門の近くまで来た時政は外出先から戻って来た牧に会うなり、
「そなたと同じような志の者が一人増えたぞ」
理由もなく重忠の悪口を言う妻を時政はうっとおしく思っていたが、今度はそれを利用し、義村の背中を押そうとしている。
牧は喜々とした表情を義村に向けると、
「あの者の話が出ると、本当に気分が悪くなります」
義村が長年、心の奥底に縛りつけていたいた怨念は、今や解き放たれた。 (続く)

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畠山重忠266(作:菊池道人)

 いささか春めいた日差しが菅谷館の厩に差し込む。
 齢三十になる三日月がけだるそうな眼差しをしている。馬の寿命は大体、二十数年であるから、長生きである。
今は牧に放たれても、若い馬たちからはぐれて、所在なさそうにしている。隻眼となった鬼栗毛など同世代の馬たちは皆、他界していた。
厩の中の方が居心地が良さそうなのである。
「随分と年月が過ぎたものだな」
老馬のたてがみをなでながら、重忠は話しかける。
三日月はそれに応じるかのように、ぶるると小さく身震いをしてみせた。
「三日月は達者かい」
 重忠の母が現れた。
 母の頭もすっかり白くなっていた。
「この馬が生まれた時のことを思い出しますね」
母も感慨深げな表情になる。
伊勢三郎が侵入してきた時、重忠は生まれたばかりの三日月を懸命にかばっていた。
「おまえ様に飼われた馬たちは本当に幸せなことですこと」
馬をこよなく愛する我が子のことを今更のように言う母。重忠も馬たちとの思い出が蘇ってきたが、最も痛恨なのは、由比ヶ浜での三浦一族との戦いで、和田義茂にその時に乗っていた山風を射られた怒りから、母方の祖父である三浦義明を攻め、自害に追い込んでしまったことであった。
「それがしが馬を思う余りに、あのようなことになり:」
改めて重忠は母に詫びるが、母は穏やかな表情である。法然の前に懺悔した時のことも思い出された。
母にもそしてその兄である三浦義澄にも重忠は許されてきたのである。
 それがどれだけ有り難いことであるのか:。
 涙が溢れそうになった。義澄はもういない。そして、残された三浦の一族、和田義盛や三浦義村のことに思いが及んだ時に、ふと不安がよぎった。
彼らも心底に自分を許してくれているのか。
多忙な日々には、なかなか思いを巡らすことはなかったが、今、しばし立ち止まったような時に心に浮かんでくる。
その不安を母に話してみたくなったが、その時、馬蹄の音が:。
 河越家を訪れていた弟の重清と重宗が帰ってきた。馬から下りた二人に重忠は、
「重時どののご様子は如何であったか」
「だいぶ良くなられた様です。重忠どのにはくれぐれもよろしくとのことでした」
重清が答えた。義経の舅であることが理由で誅殺された河越重頼の子、重時が風邪をこじらせたと聞いたので、弟二人が見舞いの使者となった。重頼の祖父である重隆と対立したことで、父重能の代にはしっくりいかなかった河越家との関係であるが、三浦との戦いでは、同族の誼で援軍に駆けつけてきてくれた。
そうした恩義もあって重忠は河越家には重頼の死後も気を遣っていた。
「二人とも大儀であったな」
弟たちをねぎらった後で、重忠は思い出したように、
「そろそろ農期だな。そなたたちは任地へ戻った方が良かろう」
重清は信濃に、重宗は陸奥にそれぞれ地頭となっている荘園がある。伊勢の領地を代官の真正に任せ切りにしたために災難を被った重忠は任地の統治に関しては人一倍気を遣うようになっていた。
そうした兄の意向を知っている弟たちも素直にそれに従おうとしたが、重宗が、
「ところで、我々が河越館に着いた時、確か北条時政どのが引き連れていた郎党らしき男が辞去するところでした」
「そうか」
重忠は平静に返事したきり、それ以上は応じなかったが、心中は波立ってきた。
 頼朝在世中は義経の妻の実家ということですっかり蚊帳の外のようであった河越一族を、北条がここに来て重要視しているのは明らかである。
すでに児玉党など武蔵の豪族たちの取り込みに力を入れてきていた北条ではあるが、重忠にはそれと対抗して、という気持ちがもともと薄い。しかし、重宗の言葉に引っかかるものもなくはないが:。
重宗も以前に重忠からたしなめられた手前、露骨な言い方は控えていたが、それでも気になって、雑談にことよせて話したのか。それ以上は触れなかったが:。
厩の中の三日月も耳をぴくりとさせていた。 (続く)

作:菊池道人 http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/3.htm

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