畠山重忠280(作:菊池道人)

 
 終章 左近山異聞

 山並を逆さに映す広沢池。
 蜩の声とともに、琵琶を弾いて調子をとりながらの歌声。
「仏は常にいませども うつつならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ」
 畔にて、歌い奏でているのは左近である。
 この歌を氏王丸という少年に教えてやった。狩の際、わざと水鳥を逃がしたことに仏の姿を見た。
 そのことが思い出されてくる。
「もし」
背後からの声に我に返る。声の主は静遍である。小脇に冊子を抱えていた。
「魂を込めて歌われておられるのう」
心のうちを見透かされたようである。が、すでに母についてのことを知っているこの僧には余計な取り繕いは無用である、という心境になっていた。今となっては、心中を吐露するしかない、と思った。左近にしては、珍しいことではあるが:。
畠山重忠という御家人が戦没したのはご存知かと」
「うむ」
静遍はうなずく。
「それがしとは縁のある者でござった」
そう言いながら、左近は脇に置いてあった袋から陶磁器の破片を取り出した。
「これは我が父、炎丸が奥州の金売り吉次に贈った品の片割れでござるが、先般の奥州攻めでこのような姿に。それがしは鎌倉方の先陣を勤めていた重忠を恨み、それ以来、遠ざかってしまっていた。しかし、御坊から母の話を聞いて、やたらと人を責め、背中を向けてしまいたがる己の性癖はよろしからずと省みて、近々、重忠と誼を取り戻すべく、東国へ下ろうと思っていた矢先に:。いや、昔のような仲には戻れずとも、せめて今ひとたび、語りあいたいと:」
左近は上を向きながら、こみあげてくるものをぐすりと飲み込む。
 静遍は、
「人を責めてしまうのは、ご貴殿には信ずる真があるからではござらぬか」
「いえ、そのような:」
「先ほど歌われていたように、暁にほのかに姿をお見せになる御仏のように、ご貴殿の真というものはそうやたらと人の目には見えるものではない。それはご貴殿が無理に隠そうとされているようにも思えるが:」
左近は無言のまま少し俯く。
「拙僧はこうした書物を手に入れたところでしてな」
静遍は先ほどから抱えていた冊子を見せる。表紙に「選択本願念仏集」という文字があった。
「これを書いた法然とかいう売僧が、悪行を重ねても、念仏さえ唱えれば極楽浄土へ往生出来るなどと世迷言をほざいているとかいうので、いつか論破してやろうと思っております」
 穏やかな静遍が語気を強める。
「だが、あの生臭めを慕う者は多い。特に民には慕われている。正直、そうしたところは羨ましいと思うのだが:」
後のことであるが、静遍は法然の「選択本願念仏集」に感銘を受けたことを機に浄土宗に改宗している。
「仏の道とは本来は迷える衆生に寄り添い、救うためにあるはずであるが」
何か胸に抱えているかのような静遍である。
法然のみならず、ご貴殿も羨ましい。つまらぬ世間のしがらみに縛られずに生きておられるからだ。拙僧は真言の道というしがらみに縛られているが、そもそも空海上人は今のような有様を望んでおられたか」
 静遍は辺りを気にしながら、
「実は近々、白河に新たなる寺を建立するという話がありましてな」
「それが何か」
不思議そうな表情になる左近の耳に静遍は口を近づけた。(続く)
 

作:菊池道人 http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/3.htm

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畠山重忠279(作:菊池道人)

 

 翌二十三日の未の刻(午後二時頃)に鎌倉に戻った義時は、関戸から引き上げて来た三浦義村とともに、大倉館にて、時政に前日の重忠討伐を報告した。
 重忠主従は僅か百数十人であったこと、味方は一万を超える大軍であったにもかかわらず、午の刻(正午前後)に始まった戦いが申の刻も終わろうする頃(午後五時)までかかってしまったのは、多くの者たちが重忠は無実ではないかと思ったことによる戦意の低下が原因ではないかと付け加えた。
「父上、それなりの覚悟がおありでしょうな」
温厚な義時には珍しく、かなりきつい調子である。
 時政は唇を噛みながら、無言のうちに少し下を向いた。我が子の問いに、肯定の返事をしたつもりなのか、それとも悔いているのかはわかりかねる。
 義時はそれ以上は言葉を継がずに、父を睨みつけていた。
 傍らで黙していた義村は、
「それがしはいささか用がございますので、本日はこれにて」
と退出した。

 後の話であるが、義村は北条に反旗を翻した従兄の和田義盛を裏切ったことから、千葉胤綱から「三浦の犬は友を食らう也」と言われたことが「古今著聞集」に書かれている。
身の危険を感じれば、道義という足かせを簡単にかなぐり捨ててしまうのがこの人物の特徴である。
 重忠が無実であることがわかれば、自分が陰謀に加担していたことがやがて明らかになるであろう。
 それはおそらく同じく謀議に加わっていた稲毛重成の口から出るに相違ない。
 重成に自分とよく似た性格を見出している。
 義村は郎党の大河戸行元と宇佐美祐村を呼び寄せると、耳打ちした。

 戦勝の宴を催したいと義村の使者が来たので、重成は弟の榛谷重朝と子息の重政、甥の重季、秀重を連れて、経師谷口(材木座近く)に出かけた。
 酉の刻(午後六時頃)のことである。
 が、当の義村の姿が見えない。あたりを見回している重成の前に、いきなり大河戸行元が現れた。
「讒言で人を陥れる不埒者め」
行元はいきなり重成の脇腹を刺す。父の悲鳴に驚いて、駆けつけて来た重政に今度は横合いから宇佐美祐村が斬りつける。
 稲毛父子がたちどころに殺されたのを見て、榛谷父子は逃げようとするが、三浦の郎党たちが行く手を阻み、三人とも斬り伏せられてしまった。
 全て重成の讒言によるものであることがわかったので、義村が成敗した、と事後に公表された。 
 重忠誅殺の件をほとんど重成の単独犯として闇に葬ろうとしていたのである。

 鶴ヶ峰の戦場で重傷を負った重秀は父の重忠の死を知ると、その場で自害した。本田近常、柏原太郎ら主だった郎党たちもことごとく討たれた。
 菅谷館でも妻の徳子が夫と我が子を同時に失ったことを悲嘆して自ら命を絶った。
 重忠の母は菅谷に残っていた郎党たちに背負われ、重清のいる信濃へと逃れた。
 なお、もう一人の妻房子は後に足利義純に再嫁し、義純が畠山の名跡を継ぐことになる。
 重忠の遺領は勲功のあった者にあてがわれた。
 その事務処理は北条政子が取り仕切ったのである。 (続く)

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畠山重忠278(作:菊池道人)

 鎌倉へ行く道は二俣川の南側に聳える岡を越える。そこを通るはずの敵に備えていた下河辺行平の心は揺れていた。
 重忠主従が僅か百数十名。しかも次々に倒され、林が多いこともあり、今や将たる重忠の姿を見つけるのも困難なくらいである。それくらい少ない人数であるという話が漏れ聞こえてきたことで、謀反の意ありとは虚言ではないかという疑念が強まってきたのである。
 以前に梶原景時が風聞を頼朝に耳に入れた時、重忠とは幼少の頃から親しんでいる自身が審問の使者に選ばれたのに、今回はそうしたことは一切しないということも腑に落ちなかった。
(今からでも、本陣の義時どのに一言、申し上げるべきか)
そう考えだしたところへ、馬蹄の音が聞こえる。
 愛甲季隆が来た。行平とは弓術で鎌倉御家人内の一、二を争った間柄である。
「敵はおそらく北へ逃げるはず。前へ進もうではないか」
 そう呼びかける季隆に、行平は、
「本当に重忠どのは謀反を起こされるおつもりなのか」
が、ひたすらに功名心に燃え盛る季隆は、
「この期に及んで何を」
そう言うと、再び馬を走らせた。
「愛甲どの、待たれよ」
行平が叫んだが、季隆は振り向かなかった。
 
 緩やかな坂を下り切った季隆は前方から馬に乗って来る重忠の姿を認めた。丁度、川を越え切ったところである。
 単騎で前進してくるのは意外に思ったが、それを疑問とするには余りにも気持ちが逸り過ぎていた。今こそ、とばかりに弓に矢をつがえ、狙いを定めた。そして、放った。
 矢は重忠の胸のほぼ真ん中に当たった。三日月から転がり落ちた重忠は、これまでに体験したことのない激痛に己の人生の終焉を悟ったが、それでも、箙からこぼれ落ちた矢を手にして、渾身の力で起き上がる。
跪いた姿勢のままで、矢を地面に突き刺した。
「我が心、正しければ:」
その後の言葉は続くことなく、前のめりに倒れた。
元久二年(1205) 六月二十二日。享年四十二歳であった。

 重忠の首級を上げるために近づいて来た愛甲季隆に対して、三日月はその乗り馬に体当たりを食らわした。
「畜生の分際で:」
危うく落ちそうになった季隆は態勢を立て直してから刀を抜いて、三日月の脇腹に切っ先を走らせる。
 三日月は苦しそうに嘶いたが、次の瞬間には走り出した。
 主の重忠が向かおうとしていた方角にである。
 血をしたたらせながらも、三日月は走り続け、義時が待機している本陣に駆け込んだ。
 慌てて取り押さえようとして近寄って来る兵たちを足蹴にしながら、三日月は陣の中央で床机に腰かけている義時に近づいてきた。
 義時は思わず立ち上がった。
 この馬に見覚えがある。
 重忠がよく乗っていた馬だ。
 鵯越で背に負った馬であるということもすでに知っていた。
年老いたので、菅谷館に繋いだままであるということも雑談程度に聞いたことがあったが、その馬がなぜ:。
 三日月は呆然と立ち尽くす義時の前でようやく立ち止まると、がくりと倒れた。義時は思わず駆け寄る。
 何かを訴えるかのように瞳を見開いたまま、三日月は息を引き取った。
畠山重忠どのを相模の住人、愛甲季隆が討ち取ったり」
その声が聞こえると、義時は身が凍りつくような気がした。
 真夏の夕日は執拗な暑さを残しているのにもかかわらず:。(続く)

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畠山重忠277(作:菊池道人)

 視界に川が入ってきた。
 義時の本陣はこの川を越えたところであろうか。
 (貴殿を信じておるぞ)
比企一族との対立が深刻化していた頃、義時に向かって言った自身の言葉が思い出された。
(だが、義時どのは俺を信じ切ることはなかった。信じ続けていた俺が馬鹿なのか)
しかし、頼朝の最期の言葉も思い出される。
(人を信じるということこそ真の勇気がいることなのだ) 
 そうだ、そのことを義時に伝えよう。そのために、今、馬を走らせているのだ。
 重忠は決意を新たにした。
と、その時である。
 突如、月虎の喉に矢が刺さった。悲鳴を上げてもんどりうつ馬から重忠は転がり落ちた。 
 甲冑を身に着けていない体には相当な衝撃だが、横向けになり、息も絶え絶えの月虎を目にすると、由比ヶ浜で三浦方の和田義茂に山風を射られた時のことも思い出し、激しい怒りが湧いてくる。
「畠山どのか」
月虎を射た兵が叢の中から徒立ちで重忠の前に現れる。
「この重忠を射るならば殊勝であるが、馬を射るとは見下げた奴だ」
重忠は立ち上がり、太刀を抜く。
兵は鉾で突いて来るが、重忠はそれをしたたかに薙ぎ払い、返す刀で真っ向上段、頭から叩き斬った。
断末魔の叫びとともに、返り血が飛ぶ。
 敵が倒れるのを見届けると、重忠は月虎に駆け寄った。
 すでに息は絶えていた。
 重忠はひざまずき、手を合わせた。
 と、その時、背後から馬蹄の音が:。
 敵か味方か。
 が、現れたのは人を乗せていない老馬。三日月である。
 菅谷館からここまで後を追って来たのであった。
 年老いて、脚力は衰えていたが、残された力を振り絞ってやっと主に追いついたのだ。
 三日月は重忠の傍に寄ってくると、鼻面をこすりつける。
 老骨に鞭打って、渾身の力で走ってきたせいか、息はいつになく荒い。
 重忠の目から零れ落ちた涙が頬についた返り血を一筋ながらも洗い落とす。
 鼻面をなで、そして頬ずりしながら、
「よくぞ、ここまで:。それ程までにして:」
背に負って鵯越の急な坂を下った恩を忘れていなかったのであろうか。いや、きっとそうに違いない。
菅谷を出立する時の鼻息と悲しげな瞳は、予感がしていたからなのだ。
 余りにも情けなき人々の姿に比べ、何と健気な馬の心であるのか。
 しばらく、三日月をなでながら、休ませた後、
「これから本陣に向かい、義時どのに物申すのだ。信じあえる世を創るべし、とな」
言い聞かせながら、重忠は三日月に飛び乗った。
 この馬に乗るのは本当に久方ぶりであるが、乗り心地は昔のままだ。
 足で腹を叩くと、三日月は走り出す。
 信じられないくらいに速く。
 川に足を突っ込んだ。
 水飛沫を上げながら、川の流れもものともしない。
 二俣川と呼ばれるこの川が重忠の脳裏でなぜか京の白川の記憶と重なっている。
 静にこの馬を見せてやった時のことであった。(続く)

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畠山重忠276(作:菊池道人)

 重秀は飽間太郎と激しく太刀をぶつけ合ったが、勝負はつかずに組み合いとなる。双方とも馬から転がり落ち、互いに上になり、下になりを繰り返す。
 近常はいきなり鶴見平次に額を斬られたが、二の太刀は鍔元でしっかりと受け止めた。
 そこへ月虎に跨った重忠が近づいてきたが、近常は額から鼻の上に血をしたたらせながらも、
「殿っ、前へ。我らにはお構いなく」
我が子も苦楽を共にした郎党も見捨てるのは後ろ髪引かれる思いではあるが、敵を倒すのが目的ではなく、鎌倉に駆けつけ、謀反が無実であることを明らかにすることこそが本懐なのだ。
「父上、重保が待っていますぞ。早く」
敵に組み敷かれながらも、重秀も叫んだ。
 重忠は足で月虎の腹をぽんと叩いた。
月虎は小走りに走り出す。
林の中の人がすれ違える程度の道を走ったが、すぐに前方から騎馬武者が現れた。
畠山重忠どのとお見受け致した。安達殿が郎党、加治次郎家季、謀反人を成敗致す」
太刀を右肩上に振り上げる。
 が、重忠は太刀を鞘に収めていた。戦闘は本意に非ざることを表するためである。
「謀反人とは異なことを。この重忠、平素の通りに鎌倉に参上致す所存ぞ。将軍家の御恩に報いんとする者を妨げるとはその方こそ不忠の極みであろう。そこを退くのだ。ただしこの重忠を生け捕りにして、義時どのの面前に連れて行くというのであれば別だ。一言物申したきことがあるからな」
「弁解無用っ」
家季は上段から重忠に斬りかかってくる。
重忠は少し上体を右横にずらして切っ先をかわすと、左の手で家季の手首をぐいと掴んだ。それから右手で腰の短刀を抜くと、家季の鎧の隙間から胸を突く。
家季は馬から仰向けに落ちた。
 重忠は再び、月虎の腹を叩くと、振り返らずに、前へ進めた。

成清は単騎、結城朝光の面前に現れた。
「榛沢六郎成清、結城どのに物申す。先年、わが主が謀反の嫌疑を受けた際には、かたじけなくもご貴殿には弁護頂いた。その恩に報いるべく、わが主は、貴殿を讒訴致した梶原どの糾弾の書状に署名致した。にもかかわらず、此度は不埒者の讒言を鵜呑みに致し、わが主の忠勤を妨げんとされるは如何なる所存であらせられるか。尋常にお答えくだされ」
渾身の力を振り絞り、喉も裂けんばかりの声である。
「お答えくだされ」
そこへ矢が三本。が、成清はそれを避けようともしない。肩、左腕、そして胸に突き刺さった。
「わが主に謀反の志はなし」
うめくような声で前のめりに馬から転がり落ちた。幼少時代からの重忠を知る男の最期である。
 それを見ていた朝光は頭の上から血の気が引くような思いがした。
 もしや重忠の謀反というのは虚言ではないのか。
 そうした疑念によって、身は金縛りにあったようになった。

朝光ばかりではない。この追討軍に加わった兵の多くは、まったくの旅姿である重忠主従の姿を目にして、戦う意思はなかったのではという疑問を抱き始めていた。
 戦いは昼頃から始まったのであるが、日が西に傾いても、数万の大軍は百三十四人を全滅させることはできない。疑念と後ろめたさに戦意が萎えていたからである。
 それでもこれを機に武名を挙げんとする者は、重忠主従に襲いかかる。
 近常も討ち取られ、重秀は組み敷いた敵を足で蹴り、短刀で刺したが、すぐに別の敵に背後から肩を斬られ、戦闘不能の重傷を負った。
 しかし、重忠は迫り来る敵を薙ぎ倒しつつ、単騎、義時のいる本陣に近づきつつあった。
(続く)


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畠山重忠275(作:菊池道人)

 眉間にやや皺を寄せながらも、眦をしっかりと上げている重忠。
 すでにいささかの動揺も感じられなかった。
「父上」
重秀が馬を前に進めながら、
「父上はいつか謀反の風聞あるはむしろ武士にとっては誉れとおっしゃいましたね」
「そうだ」
「然らば、我らが謀反人と呼ばれようとも、どうして恥じることがございましょうか。菅谷に引き返した上で、総力挙げて、謀反人の名を挙げるもまた武士の道かと」
が、重忠は、
「重保は上洛の折、平賀どのと口論に及んだ。その理由は実朝公を侮辱されたからである、と申しておったが、どのようであったかのう、あ奴の最期の様子は:」
 重忠は柏原太郎の方を向く。
 柏原は目に涙を浮かべながら
「此度も由比ヶ浜に謀反人ありとの報せに、とるものもとりあえず、駆けつけられるところでありました。そこを待ち伏せしていた三浦の郎党らに:」
 重忠は深くうなずいてから、重秀の方に向き直し、
「つまりは、終生、将軍家への忠節を忘れなかったのだ。もしここで我々が菅谷に引き返してから戦い、謀反人とされれば、重保の志を無にしてしまうのではないのか。我らの将軍家への忠節がいささかの揺るぎもないことを示すことこそが、重保への供養ではないのか」
重秀は唇をかみしめ、それ以上の言葉は返さなかった。

 重忠は連れて来た従者百三十四人を全員呼び集めると、
「我らの志は平素のごとく鎌倉に参じ、将軍家の御恩に報い、忠勤に励むことであるが、それを妨げんとする者がいる。しかしながら、我々の存念は一切変わることはない。ひたすらに鎌倉へ向かうのみぞ。いかなる妨害にも怯むことなく、前へ進むのだ。我らの本意は他家と干戈を交えることにあらず。ただし、将軍家への忠勤の道を妨げる者あらばやむを得ず成敗致す」
「おおっ」
誰からともなく鬨の声を上げ、拳を天に向かって突き出した。
 人馬は再び、歩み始めた。
 鎌倉へ向かって:。
 前方から七騎が突き進んでくる。
 安達景盛とその郎党の野田与一、加世次郎、飽間太郎、鶴見平次、玉村太郎、与藤次である。
 景盛は頼家に妾を奪われたことが発端となって謀反の疑いをかけられたことがあったため、この時こそ武勲をたてんと張り切っている。
「景盛どのは昔から知っているが、この重忠を討ち取って栄誉とせんとは殊勝なり。重秀、その方にとっては不足はないぞ。命の限り戦うのだ」
「はっ」
先程までは異論を唱えていた重秀は力強く変事すると、馬の腹を足でぽんと叩く。
 馬は勢い良く、安達主従をめがけて走り出した。
畠山重忠が倅、重秀、鎌倉に参上致し、将軍家に奉公致す所存ぞ。それを邪魔だてするとは如何なる所存か」
「謀反人が今更何をほざくかっ」
野田、飽間が矢を放ってきた。
重秀はそれを刀で叩き落す。
「若殿、加勢つかまつる」
近常も馬を走らせた。
甲冑に身を固めた安達勢と旅姿の重忠主従とが肉迫する。 (続く)
 
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畠山重忠274(作:菊池道人)

 雲の見えぬ空から照りつける日差し。
 重忠は汗をにじませながら、月虎を歩ませている。武蔵国鶴ヶ峰(横浜市旭区内) 。坂は多いが、相模との国境はもうすぐである。二十二日のうちには鎌倉に着くはずであった。
 それにしても、菅谷館を出立する時の三日月の悲しげな瞳はなかなか脳裏から離れない。すでに鎌倉へ連れて行くのは無理と思えるくらいに足は衰えている。
 齢三十という稀なる高齢ゆえ、最期が遠くないことを察しているのであろうか。
 もしや、次に菅谷に戻った時には、もういないのか。
 仮定のこととはいえ、悲しみに胸を締めつけられる。
 そして、三日月とともにした日々の記憶が鮮明に蘇る。
 初めて上洛した時のこと。宇治川の戦い、そして背に負って下った福原の鵯越
 三日月の記憶はそのまま重忠の人生と重なっていた。
 こみあげてくるものを抑え込むかのように重忠は鼻で息を吸い込み、上を向く。
 真夏の日輪が真上にあった。
 と、その時、重忠と並んで馬を歩ませていた本田近常の、
「おお」
という声。
 馬蹄の音が聞こえる。
 前方から馬を走らせて来るのは柏原太郎。鎌倉屋敷で留守を守っているはずであるが、何ゆえに今、ここに:。
 すぐ近くまで来て、柏原は馬を止めた。
 顔には返り血も:。
 重忠の胸は激しく騒ぐ。
「申し上げます。本日早朝、重保どの、謀反人の濡れ衣を着せられ、三浦義村どの配下の者に討ち果たされました」
 重忠は声を出せない。
「鎌倉屋敷で留守の者たちもことごとく討たれ、奥方様(房子)は尼御台様に預けられた由にございます。そして:」
信じ難い話はまだ続く。
「義時どのを総大将に鎌倉の御家人は挙ってこちらに向かっております」
「この俺を成敗するというのか」
抑えたつもりでも、重忠の声は荒くなる。
「いかにも。殿にも謀反の志あり、と。敵は幾万か知れません」
柏原の声は今にも泣きそうになる。
返り血と至る所が斬り裂かれた狩衣は辛うじて敵の囲みを破って来たことを物語っている。
「大儀であった」
重忠はやっとの思いで労いの言葉を発した。
 成清が言う。
「敵は数万にも及ぶかと。しかし、こちらは百三十四人。ここは速やかに菅谷に引き返し、態勢を整えた上で迎え撃つべきかと存じます」
 近常も、
「一刻の猶予もございませんが、敵は大軍なれば歩みは遅いはず。引き返すならば、数の少ない我らの方が有利なはずです」
が、重忠は徐に首を横に振ってみせると、
「その方らの申し分、軍略としてはもっともだ。しかし、折角だが、人の道にはそぐわぬ」
「なぜでしょうか」
近常は訝しがるが、
「敵は我らを謀反人として処断する所存であるはず。もし、菅谷に引き返し、互角に戦えば、まさに敵の思う壺。敵の嘘が真となってしまうのだ。現に、以前、梶原景時どのは最期に当たり、なまじ、館から逃れようとしたために、謀反の企てありと思われてしまったではないか」
成清は、
「では、このまま、敵に向かうと仰せなのでしょうか」
「その通りだ」 (続く)

作:菊池道人 http://www5e.biglobe.ne.jp/~manabi/3.htm

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